日本再生への緊急提言「ひとりひとりのルネッサンス」

七尾 清彦

(注:以下のサマリーは、1999年7月15日(木)に行われた関西経済連合会の国際交流委員会での講演の骨子をベースに、読みやすいように若干手を加えたものです)

●欧米における改革

冷戦時代がおわり、また世界的な脱工業化・サービス化の流れの中で、日本を含む先進工業国は軒並み、抜本的な構造改革を求められている。

改革のキーワードは「多様性」と「創造性」である。いわば先進社会同志でどこがいちばん早くかつ効果的に社会の多様性・創造性を引き出すことができるかという改革オリンピックが始まっているといえる。

背景は国によって異なるが、他国の例を参考に日本の風土に合った改革手段を考察することは有用である。外交官として32年にわたり海外各地に滞在した経験などを踏まえ、感じていることを関西の経済界の皆様にお伝えしたい。

■ボランティアを主体とした市議会の例(米国)

私は今、外務省を辞めて、米国コロラド州にある人口37万人の町、コロラドスプリングスという米国西部の中都市に滞在している。活力ある米国ニューウエストの社会の仕組み、実態を勉強中である。この街の市議会は実はボランティアを軸に構成されており、議員は市長を含めてたった9人しかいない。これら議員はみな別に生業を持っており、議員としての手当ては月5〜6万円に過ぎない。これもやっと最近支給されるようになったもので、長い間、無給で代々の市長、議員が市政につくしてきた。市議会予算委員長などの要職も人望のある市民がボランティアでつとめている。政治コストの徹底したスリム化が進んでいるのである。日本で同じような規模の市であれば、市議会議員は30〜40人はいる。議員や市職員の人数が少なくて済むのは、ボランティアがいろんな形で、市の立法や行政に参加しているからである。

ボランティア・サービス活動は米国やヨーロッパでは大変盛んである。市民としてコミュニティーのために自発的に協力していく精神は、自治と民主主義の原点といえる。

実は同様のことは日本でも始まっており、「住民力」を高める動きといえる。福祉や環境分野、廃棄物処理などでの事業計画策定における住民発案・住民参加の体制を実質的に実現している先駆的な自治体が日本で各地で産声を上げはじめている。

■面的拡大を戦略としたヨーロッパ

世界的な改革オリンピックの中で、ヨーロッパは国境を越えた「面的」な拡大を戦略の基礎に置いてている。先般のコソボ問題は、このヨーロッパ社会の面的拡大戦略にとって大きな挑戦だったといえる。

もともとNATOヨーロッパ諸国は旧ソ連南部のエネルギー産出地帯を来世紀に残された人類最後の巨大資源エネルギー地帯として着目してきている。旧ユーゴスラビアでの紛争処理ができないようでは、ヨーロッパは、旧ソ連南部まで食指を伸ばす資格はないということになる。コソボ問題は単なる人道的問題ではなく、地下資源に絡む利害、ヨーロッパの今後の面的拡大というロシアをにらんだ戦略が背景にあったと私はみている。一方のセルビアはこれと180度異なる戦略、つまり19世紀的な民族の独立を目指す方向で対立した。このセルビア主義を打ち破らなければ、新しい時代を目指すヨーロッパの将来はなかったのである。

●日本独自の改革策を

米国や欧州諸国も、新しい時勢にどう対応して改革競争を勝ち抜いていくか、構造改革に向けて真剣な試行錯誤の努力を進めている。日本も改革を進めなければ生き残れない。この場合、改革の原動力は中央政府でも大政党でもない。それらは道具にすぎない。われわれ一人一人の市民、そして社会的責任に目覚めた企業(すなわち企業市民)が原動力となるほかない。住民、企業人、そして良心的地方自治体が一体となって改革を進める必要がある。

われわれ一人一人の日本人は、日本や自分たちの住む地方の改革に関わっていく必要をみんな自覚している。しかし問題は余りにも巨大で、その方法がわからない、というのが本音ではなかろうか。

ところで関西はその力、歴史的背景などからいって、改革の先頭に立つべき恵まれた位置にある。関西の町や村での市民的改革の成功例をモデルケースをとして産み出し、日本全国に発信することによって、市民と企業市民による全国的な改革のうねりを巻き起こしていくことができる。

米国はもともと「合衆国」であり、多様性を国の生い立ちの基礎においている。したがって世界の改革オリンピックの中で有利な立場にある。一方日本は、朝鮮半島や中国からの一部の在日外国人の存在は別にして、本来的には多様性は無いに等しい。

また、陸続きの欧州とは地理的条件が異なるため、欧州の面的拡大策をそのまま島国の日本に適用することはできない。先の大戦での苦い体験もあり、軽軽に面的拡大を口にすることもできない。

日本独自の戦略を創出することが必要なのである。

たとえば行政のスリム化や規制緩和ひとつを例にとっても、日本のように狭い面積で密度の濃い経済・社会活動をしている国では、より強い規制による秩序の維持は必要であり、他国の例をそのまま当てはめることはできない。しかし時代の流れとともに不必要になったものは極力減らし、日本に合った行政・規制のスリム化を推進すること自体は重要である。

米国では1960年代以降、民主党の時代に、女性やマイノリティなどの社会的弱者保護の運動が進んだ(絶滅に瀕する動物保護も同様の考え方に基いている)。しかし最近では、税金をかけてこれら弱者を守るのはもはや十分であり、今や過保護の弊害も出てきているとの反発が起きてきている。

カリフォルニア州では1976年に、納税拒否という草の根型の対決的な住民運動がおこり、その後の動きを見ると行き過ぎもあったりで、繁栄と荒廃が共存する結果となっている。規制撤廃によってハイテクベンチャーはシリコン・バレーで我が世の春を謳歌しているが、同時に刑務所や公的教育の現場には税金がまわらず、受刑者逃亡の増加、教育の荒廃などの問題が深刻になってきている。クリントン大統領のもとで米国経済は一人勝ちの成果を収めてきているが、その副大統領が2000年の大統領選挙では当選が危ぶまれているのである。繁栄を手にしても人々は何か満たされなものを感じ、倫理や安全の問題で心の充実を求めているようである。

日本では行政による過保護、過剰介入に伴う弊害から行政不信が広まってしまった。米国のような市民対政府の対決型の手法によって繁栄と荒廃が共存する社会にするのではなく、住民、企業市民、地方行政の建設的参加による改革を通じて、適正な質・量の行政を実現するという独自の路線を模索していくことを提案したい。日本版の解決策が成功すれば状況が似ている周辺アジア諸国にも参考になることが多いだろう。

繰り返すが改革の核となるのは「住民と企業」である。住民といっても単に消費者、労働者といった狭い立場だけではなく、また企業も利潤追求の経営者の立場を超えて、それぞれが政治家として教育者として、社会貢献していく必要がある。企業は、社会貢献に金を出せばそれで終わりということでは、済まない。

日本版構造改革のキーワードは「多様化をベースにした創造」である。日本は歴史的に律令政治の社会であり、個を開放して自由に活動させる多様化をベースとした改革は不可能と思われるかもしれない。しかし、日本の歴史を振返ると、上下関係で整然と整備された時代ばかりだったであろうか。

否である。仏教の伝来にともなう巨大改革の時代以来、素人目にも、日本は、体制の安定、円熟と腐敗、破壊、混乱の中からの改革、そして安定というサイクルのくり返しであったことは明らかである。とりわけ戦国時代、安土・桃山時代の当時の住民、とりわけ町衆といわれる有力商人による京、近江の長浜、堺、博多などでの自治の芽生えは注目される。日本人の中にも自治の精神が脈々と潜在していることがうかがえるのである。

●日本における改革の三本柱

日本再生の戦略的分野は、税、直接民主主義、教育の三点ではないだろうか。

■ 税制改革

日本では税金が重いということがよく話題とされるが、それよりももっと重要なのはわれわれが生活する地域のために使われる税金についての住民の発言権が法律上、ほぼ否定されているということと、その結果のひとつとして課税の対象となる所得の発生地に、税が基本的に還元されるシステムになっていないことの2点である。

地方自治法の第12条を機会があったらみていただきたい。そこには「地方税の賦課に関するものは.......(地方自治から)除く」と書かれており、地方議会や住民は口を封じられているのである。税は基本的には国が集めて、国の意向によって地方にばらまくということである。

米国の都市の財政を見れば大体に於いて連邦からの移転は、市の財政の10%前後である。90%は州と共管のガソリン税財源とか、市独自の住民税、固定資産税、課徴金でまかなっている。日本はご承知のように自主財源は歳出の3分の1であり、3分の2を国からの交付金や補助金に頼らされているのである。財源の3分の2を国に依存させられていては地方の活力ある自治は進まないし、多様性に基づく日本全体の活性化も進みようがない。

第2の問題も大事である。法人税を例にとると、税収の約9割が東京・大阪・名古屋などの巨大都市圏から発生するので、国が集めて地方に再配分することは避けられないとされるがこれは実はおかしいのである。大企業の本社がそうした都市に集中しているから、便宜上、その所在地で徴税していることから生じる問題であり、いわば税の集め方の「決め」の問題にすぎない。

本来、企業が活動し、道路をすり減らし、煙を出している所得の発生地の自治体に税は納められるべきなのである。税金の集め方などを改め、法人税を減らし事業所税を高めれば、済むことなのである。それぞれの地方間で、工場の立地の有利不利があり、日本が貧しかった時代には、国が税収を社会的考慮から再配分する必要があったのは事実であるが、そのようなやり方はいまや歴史的使命を終えたのである。このコンピュータ時代の到来で、企業は良い環境を求めて過疎地に好んで立地する時代となっているのである。

過剰な行政をスリム化することによって減税が可能となる。企業は可処分になった所得の使い方を自分の意志で社会的目的に使うことが可能となる。企業は週1〜2時間でも良いので、従業員に有給で地域のボランティア活動に参加させたり、地域での教育を充実させることに寄付するなどの自主的な工夫が可能となる。減税分をすべて懐に入れるだけでは企業は社会的責任が果たせない。その何%かを教育などの公共の目的に還元し、企業イメージを高め、長い目では、良質の新規労働力を地場で養成確保するということにつなげていく立派な投資だと観念すればよいのである。

■直接民主主義

日本では間接民主主義偏重の傾向が強すぎるように思われる。直接民主主義のメリットを今一度見直したほうが良いと思う。

米国では、直接民主主義には二つの流れがある。「住民表決(レフェレンダム)」と「住民発案(イニシアチブ)」のふたつであり、すでに27州で採用されている。日本の地方自治法には条例の改定・廃止の審議を要求する「請求権」と不適切な議員などを辞めさせる「リコール」はあるが、「住民表決」と「住民発案」はない。戦後の急成長の時代には妥当であったのだろうが、現在では社会の必要に応じて改良する必要がある。

日本の地方自治法は都道府県への仕事の割振りといった中央と地方の役割分担を決める技術法であり、地方自治はどうあるべきかといった中身に入った理念、その実現のためのあるべき有効な手法を規定した法律ではない。

■教育

日本では政府刊行物のベストセラーに教育指導要領が入っている。これは世界でもまれなことだが、文部省が過剰に教育に介入していることの象徴である。これからは指導要領に従う画一的官製教育ではなく、生徒や学生の個性を伸ばす教育が中心となっていく。父母や生徒がそれを求めるからである。たとえば、社会の現場で専門を持って実務に携わっている人を教育の現場に呼び込むことなどの創意工夫が必要となる。

平成15年からは、各分野で活躍している人を講師として教室に呼んでくることなどを含め、カリキュラムの自主的工夫が始まる。カリキュラムを工夫しなければ生徒や学生はよその学校にとられてしまうのだから、教師もこれまでのようにはいかなくなる。子供たちにとっては実社会の貴重な話が聞ける有意義な授業になるだろう。

米国コロラドスプリングスにはジュニア・アチーブメント(JA)という非営利の教育団体の本部がある。JAでは全米の小中高生200万人を対象に課外授業で、資本主義とは何か、値段はどう決まるか、国際貿易はなぜ起こるか、経営者の社会に対する責任とは何か、など基本的なことを教える。1919年に発足した団体だが、これまで一切公的な資金には頼らず、青少年を顧客とするコカコーラなどの企業などが中心となってスポンサーになり、現役または引退したビジネスマンなどが教師として無料で協力する。高校生レベルには模擬企業を設立させ、周辺地域や外国のおなじような模擬企業との取引の実習を行う。経済面で社会人として身につけるべき素養を、民間の努力で子供たちに伝授しているわけだが、米国資本主義の根の深さ、底力を感じさせるやり方である。

このほかにもコロラドスプリングスには米国宇宙基金(USSF)という団体がある。全国から集まってもらった教師に米空軍の科学技術者が宇宙開発の重要性や最新の現状などを教え、教師はそこで学んだことを各学校に持ち帰って生徒に教える、というユニークな試みである。近頃の生徒は、めったなことでは関心を示さないが恐竜とか宇宙のことには目を輝かせるのだという。米国の例を日本でそのまま真似ることはできないが、このような工夫の中から、将来の宇宙飛行士や科学者が生まれてくるのであり、国際競争に勝ち抜くユニークな人材育成に向けて日本の風土に合った新しい教育を生み出していかなくてはならない。

●関西への期待

1976年にカリフォルニアで納税拒否運動が起こったが、これを契機に規制撤廃、小さな政府などの改革が始まった。改革の流れが全米に広がったのは、カリフォルニア州の知事だったレーガンが1981年に大統領になってからだが、より正確にはカーターが大統領に当選した1976年当時から、カリフォルニアを原点として米国の改革は始まっていたのである。日本の改革も上からではなく地方からの改革でないと本物とはいえない。

わたしは関西に期待している。せまい意味の関西ではなく、中部地方から九州までを含めてである。ではなぜ関西か。関西は伝統的に官僚化の度合いが低く、多様性を尊重する気風がある。アジアとの地理的近さも有利である。義理人情、反骨精神、スピード、個人の才覚を重視する風土などもある。日本再生の発信源となり得る資格を持っている。

東京体制の一部分として関西が動く高度成長時代が終わった。関西の利点、伝統、地位を活かし、改革における先駆的機能を果たすことは関西の使命であり、その地位から申して道義的な責任ですらあるといえる。

市町村といったもっとも小さな単位の住民の知力、能力、責任感を信頼し、規制緩和や税制面での特例を設けモデルケースをどしどし育成し、成功例を関西から全国に発信していって欲しい。改革の波は全国に広がっていくだろう。

東京中央の権限、業務、予算を都道府県、とりわけ市町村の住民に、「平成の大政奉還」として戻していかなければならない。中央官僚はいわば江戸幕府であり、奉還には簡単には応じない。この為には、中央が応じざるをえない状況を地方が作り出すほかない。主権者たる市民が、その土地の開明的行政官、経営者などを巻き込んで対決型ではなく参加型の日本版改革方式を一歩一歩構築していくことが、回り道のようで本当は真の王道であると考える次第である。

関経連が提唱する「関西広域連携」は重要視すべき手法である。地方の行政、経済界、そして住民一人一人が三位一体となって物事を動かしていく時代であり、その概念が関西で芽を出していることに力づけられる。関西地域全体の発展に向けて、多様な理念や人材の衝突を許容し、創造的衝突を恐れずに連携を進めてほしい。その過程で活力ある米国西部諸州と関西圏がウエスタン・ユニオンといった形で広域的協力の関係を深めるといったことも役立つだろう。

及ばずながら不肖私も、これまでの国際体験を生かして微力を尽くしたいとの所存である。(了)

(注:関経連はその後、1999年12月、「関西経済再生シナリオ」を発表し、これからの戦略を明らかにした。いよいよ戦略の具体化の段階に入ったということができる。)

本講演のポイント

  1. 冷戦時代が終結し、また、世界的な脱工業化・サービス化の潮流の中で日本を含む先進工業国は抜本的な構造改革を求められている。改革のキーワードは「多様化」と「創造」である。各国の背景はそれぞれ異なるが、他国の例を参考に日本の風土に合った改革手段を考察することは有効である。

  2. 日本再生の原動力となるのは、一人一人の市民および企業市民であり、行政・経済界・住民が一体となって改革を進める必要がある。

  3. 改革のキーワードは、税金が地域企業や住民に還元されるような税制改革、直接民主主義のメリットを見直した住民投票や住民発案による地方自治の促進と、教育改革である。

  4. 日本の構造改革に果たす関西の役割・責任は大きい。関西が持つ長所・伝統を活かし、成功例を全国に発信することによって、改革の原動力となることを期待したい。


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