ハルツームでの小さな出来事

2003年12月
東京在住のNさん

ハルツームはスーダンの首都である。人口は100万を超えているようであるが、正確な数は分からない。ここで起こった小さな出来事について述べる。その前にスーダンとハルツームのことについて少し紹介しておく。なぜなら、スーダンを訪れる日本人は非常に少ないし、エジプトやケニアなど有名な国については多くの旅行案内書が出ているが、スーダンについては「地球の歩き方」も出ておらず、案内書は皆無に近いからである。

スーダンは、アフリカ東北部にある。面積はアフリカ53カ国の中では1番大きい。何と日本の7倍近くある。北緯4度から21度まで、東経21度から38度まで広がっている。周囲は9カ国(エジプト、リビア、チャド、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、ウガンダ、ケニア、エチオピア、エリトリア)に囲まれている。アフリカ53カ国すべてが非同盟諸国会議に属しており、スーダンもその1つである。またスーダンは、アフリカの数カ国とともに、イスラム諸国会議機構(55カ国)やアラブ連盟(22カ国)にも属している。軍政下にありイスラム原理主義の影響を受けている。経済的には非常に貧しい国とされ先進国の経済援助に頼ってきたが、最近、石油が出ることが分かり、ここ数年このおかげで活気づいているように見える。

首都ハルツームは、エチオピアに流れを発する青ナイル川と、遠くウガンダからうねるように流れ下ってくる白ナイル川が合流する地点に位置している。ナイル川がエジプトのアスワンダムを下り、カイロからアレクサンドリア、ポートサイド一帯に緑地を形成し、地中海に流れ込んでいるのとは丁度逆に、リビア砂漠をハルツームにまで引き寄せているようにも思われる土地である。そのような広大な砂漠の平地に大都会を形成しているのがハルツームである。

私がハルツームを訪れたのは今年(2003年)9月末であったが、猛烈に暑かった。これは言うまでもなく、ひとつにはスーダンが大陸の内部にあり、しかもそれは赤道に近い国であることによるのであろう。ふたつは、隣のケニアのナイロビなどとは異なり、ハルツームが低地にあることによるものであろう。

さて、小さな出来事について述べるには、私がハルツームに何をしに行き、何をしていたかを述べなければならない。私がハルツームに行ったのはボランティア活動であり、社会福祉法人「国際視覚障害者援護協会」(以下、協会)の仕事でのためである。この仕事というのは「アジアを中心とした海外の視覚障害者で意欲のある留学生を日本に迎え入れ、鍼、灸、マッサージを勉強してもらい、その知識、経験、技術を自国に戻って後進のために役立てる職業についてもらう」という協会の事業を手伝うことである。具体的には、ハルツームに住む全盲の青年A君を日本に迎え入れることであった。A君には、日本語の勉強をしておくように既に伝えてあったが、まだまだ日本語はたどたどしい。A君がしゃべれるのは、アラビア語、ハム族の部族語、少しの英語である。実は、ハルツームには、5年前に日本に招いた留学生であるM君がいた。彼は、アラビア語の他、英語はもちろん日本語も相当にうまい。このM君がA君やその家族との会話、現地での会議などで、アラビア語から日本語への通訳として大いに活躍してくれた。

さて、私ともう一人の日本人は、M君のいとこの運転するレンタカーに乗った。車はハルツームの街の中を通った。近代的なビルがいくつもある。その一つ一つをM君が日本語で教えてくれる。彼も全盲であるから見えないのだが、見なくてもちゃんと分かっているのだ。車は郊外のA君の学校まで行った。そこでA君の歓送式が行われ、我々4人もそれに参加した。そして、A君とは翌日の再会を約して別れ、夕闇も徐々に迫ってくる頃、車はハルツームの町を目指して、舗装してあるのかないのか分からないようなほこりっぽい砂漠の中の真っ直ぐな道を、かなりのスピードで走っていた。

すると突然タイヤがパンク、M君はこんなことはしょっちゅうあるのです、と少しも動じない。M君のいとこは慣れた手つきで車からタイヤとジャッキを取り出し、タイヤの交換作業を始めた。ところが、ジャッキが小さすぎて役に立たない。運転手のいとこはすぐ近くの家に行き、大きいジャッキを借りてきた。それを使ってタイヤを取り替えているとき、その家の人がやってきて「みなさん、家に寄ってお茶を飲んでいってください」と言う。M君は「ありがたいが、我々は急いでいるので」と丁重に辞退した。

ここでM君は言った。「どうですか? 日本ではこんなことはないでしょう?」と。

私は、「うーん、日本も昔はそうだったんだけど。もしかしたら日本でも、田舎のどこかではまだこんなこともあるかもしれない」と答えておいた。私の答えは苦しかった。というのも、M君は日本の実情をかなり詳しく知った上で、このような問いかけを私にしてきているのが分かっていたからである。

東京のような大都会で見ず知らずの他人に、その人が困っているからといって、無償で道具を貸し、しかもお茶のサーヴィスまでしてくれる家があるであろうか?私は「まずない」と答えざるをえない。M君の言では、このようなことはハルツーム、いやスーダンでは少しも珍しいことではない、むしろごく普通のことである、とのこと。何という違い。しかし、日本にもこのようなことは何十年か前、確かにあったのである。それがいつのまにかなくなってしまった、と言ってよかろう。

日本の近代化の歴史、それは、確かに合理精神や科学に基づき、技術や経済の発展を促したという一面はあろうが、それが経済的効率の追求、能率一辺倒という傾向を生み、非人間的な社会を形成してしまったのではないか? いや、私は、経済的発展すべてを否定し、豊かさの追求が間違っていた、と主張するつもりはない。アフリカ53カ国を考えれば経済発展は欠かせない。問題は、この方向はともすれば、人間性の抑圧と放棄に向かいやすい、ということであろう。

だからこそ、豊かな人間性を取り戻し開花させるためにも、ひとりひとりが人間性回復のルネッサンスを起こし、自分の住む地方自治体の活性化を図ることが求められている。


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