自衛隊派遣、国民投票を提案する

2003.12.13
七尾 記

わたしは、平和維持のための国際協力に自衛隊を使うことについては、積極論者である。しかし平和維持協力と占領行政支援とは、法的にも政治的にも全く異なる概念である。国連の決議のもとに、受入国の同意ないし要請に基づき治安維持・復興などのために自衛隊が行くのと、休戦協定もない現時点で飛び込むのとは大いに異なる。

ここで不測の犠牲者が続々と生じた場合、国民の大多数は、自衛隊を今後国際協力に使うことについて後ずさりしてしまうだろう。湾岸戦争の頃から営々として国内の理解を積み上げてきた国際協力論者のこれまでの努力は、水泡に帰してしまう。誤った派兵、時わきまえぬ派兵は、国際的安全保障協力への日本の姿勢を10年前に戻しかねない。

イラク派兵は自衛隊組織にも、好ましくない心理的影響を与えている。アメリカが強引に始めたイラク戦争、しかもその大義につき世界が疑問視している戦争に、講和も成立していないのに、あたかも一政治家の意地と面子を貫くための捨石にされるのではないかとの声がすでに武官たちから聞こえてきている。防衛庁文官の方は首相怖さに、深い思慮も無くただ付いていっているように見える。多くの武官たちは、混乱下のイラクへの派兵の是非につき、もっともっと国民的議論を尽くしてほしいとしている。銃後の広範な理解と支持なしに、とにかく行ってこいではたまったものではない。武官たちの願いはもっともなことだと思う。民意を十分に確かめた上での派遣を、武官の方が文官よりも強く求めているのだから何かが変である。シヴィリアンコントロールの頂点に立つ首相以下文官が戦力の活用に積極的で、制服組の方がより慎重という構図であり、日本のシヴィリアンコントロールは一体どこへ行ってしまったのだろうか。

さる11月の衆院選のかなり前の時点で、イラク情勢はすでに明白に悪化してきていた。小泉首相はそこで一歩下がって、予想しなかったイラク状況の悪化を踏まえ、冷静にことを考えるチャンスがあったはずである。このチャンスを逃し突っ走ってしまった首相は、今では心中、しまったと思っているのかも知れない。が、事ここに及べば時すでに遅しである。選挙でもかたくなにイラク派遣を言い続けそれで勝ったのだから、政治家としてはもう引き下がれない。選挙に先立つ10月のブッシュ大統領日本立ち寄りですでに証文を取られていたであろうから、国際的にも身動きできない状態であろう。現在のイラクの状態で派兵ということになると、かなりの確率で自衛隊員に犠牲者が次々と出かねない。そんなことになれば東京では大騒ぎの政局になりかねず、内閣は持たなくなるだろう。テロリストや反米のイラク人にとっては、苦労して東京でテロを起こさなくても、現地で自衛隊員を狙えば、日本に対し所期の政治的混乱を起こせるのである。

小泉という政治家は面子にこだわるタイプだとよく言われる。本人は倒れるところまでいくしかないというハラなのであろう。吉田松蔭の残した短歌

「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」

が彼の好きな歌とされるから、彼個人が政治的に沈没するのは已むを得ないにしても、それに随伴して生じる組織としての自衛隊の、そして日本の国家的損失はあまりにも大きいものになる。このような破滅的コースに迷いこむことを避ける有効な打開策がないか、国民自身が考えていかなければならない局面である。

憲法には、個別重要事案について民意を確かめる国民投票の規定がない。単に規定がないだけなので、憲法は投票を行なうことを否定までしていないはずである。野党はこの問題では、民意を直接正確に確かめ国会再審議の参考とすることが不可欠との統一要求を行い、このための緊急立法を前面に押し出して国民に直接訴えるべきだ。緊急の国民投票を踏まえ、国会が派兵の是非を再審議表決すれば、国権の最高機関たる国会の立場は守れる。さる7月にイラク派遣特措法を成立させたときから、現地の情勢が大幅に悪化しているのだから再審議は当然である。時すでに遅しの感をいだく方も多いだろうが、事態の推移を食い止めるための有効打を見出すための一石として敢えて一案を提起するものである。各地の市町村議会が、派遣に慎重な考慮を求める決議を続々と打ち出し始めており、これは国民多数の健全な懸念を映し出しているのである。

イラクへの主権委譲と正統な政府の成立までの間は、国権の発動たる自衛隊の派兵は避け、国際機関や、日本を含む世界のNGOの活動を支援すれば、人道的ないし基礎的ヒューマンニーズは手当て可能である。国際機関もためらうようなイラクの状態なら、それこそ米・英軍の領分であろう。

自衛隊は戦闘に行くのではなく人道・復興支援に行くのだと政府はいう。イラクの今の状況のもとで、武装した自衛隊という集団がそこに進出していれば、仮に一発も撃たなくてもそこにいるだけで、敵性勢力から見ればれっきとした戦闘行為集団なのである。存在すること自体が相手にとっては邪魔なのであり、攻撃されても文句は言えないのである。戦場の常識は世界の常識であり、日本の非常識は通用しない。


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