関西レポート

―関西に住む人々―

2004年3月26日
神戸在住 田中 徳夫

1. 関西の春

今年の冬は、やはり「暖冬」でした。
3月初旬、真冬並みに寒い日はあったものの、2月の平均気温は平年より2度も高かったそうで、このところ、確かに「地球温暖化」を認識せざるをえない気候の年が続いています。
首都圏に比べると、春は、こちらの方が多少早く来るように思います。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは、日本のどこでも言われますが、関西では、奈良東大寺二月堂の「御水取り」が済む3月中旬から、春が本格化するようです。人々の気分でしょうか。

甲子園では選抜高校野球が始まり、いよいよ野球シーズンが幕開けとなりました。アテネ・オリンピックに向けた準備中に倒れた長嶋監督の病状が気になるところですが、プロ野球では、関西の人々は、今年も阪神タイガースの活躍に期待しています。
また日本は、サッカーのアテネ行きを決めました。
そして国内Jリーグでは、イルハンの加入により、神戸が盛り上がりを見せています。

約2年間、神戸東灘区から大阪堂島までの通勤電車で周囲の環境を眺めながら人々の表情を観察していると、マスコミに報道される「激動と緊迫の時代」とは別次元の日本を感じるところがあります。
今回は、関西と関西人についてのコメントをアトランダム並べつつ、現在の関西問題を考える材料に供したいと思います。

2. いくつかの関西論

関西といっても範囲も人々も様々です。最初に、関西地域を代表する京都、大阪及び神戸の三大都市それぞれの特徴を比較したイメージについて、概観しておきます。

まず、各都市の地形の特徴から、「京都は(周囲の山々を)見回す街、神戸は(坂の上から)見下ろす街、大阪は(高層ビルを)見上げる街」と言われています。
また、「神戸に住んで、大阪で稼ぎ、京都で遊ぶ」ことが、関西人の理想的生活だそうです。
そして、三都市を「関西」という会社の組織に見立てて、「京都は総務部、神戸は企画部、大阪は営業部」とも言います。
それぞれの都市の人々が、そのとおりだと思っているかどうか、疑問ではありますが、これらの表現は、三都市の性格のポイントを言い当てているのも事実でしょう。

京阪神の人々それぞれの関係について、次のように言う人がいます。
(丹波元「京都人と大阪人と神戸人」)

「京都人と大阪人は仲が悪く、神戸人と大阪人も仲が良いとは言い難い。けれども、京都人と神戸人は肌が合う。」

「この仲が悪いというのは、・・・一方通行的に、京都人は大阪人を嫌い、神戸人も大阪人に好意を持っていないのに比べて、当の大阪人は、相手が嫌うほどに、彼らに嫌悪感を抱いていない。」

「妙なことには、京都人の眼から眺めると、大阪の海は工場廃水で濁り切っていて、神戸の海は澄んでいるらしい。」

司馬遼太郎の「神戸散歩」(「街道をゆく」)に、次の記述があります。

「この(大阪)湾に二つの都市がある。
いうまでもなく、大阪と神戸だが、都市の性格や機能がたがいにちがっている。市民文化も違う。
『民度もちがうんじゃないか』
神戸の友人が、みもふたもないことを言ったことがある。
私は大阪に住んでいる。それだけでも、神戸在住のひとには、笑止なことであるらしい。京都のひとたちも、この点似ている。この両都市の人達にとって、大阪は自尊心を満足させるために存在しているかのようである。」

「ひと昔前、ある洋画家が、いった。
―金剛山や生駒山を見てくらしていると(大阪に住んでいると)、絵がうまくならん。六甲山を見てくらすと(神戸に住むと)、みなうまくなると言いますな。
言ったひとは神戸の人ではない。半世紀以上、河内(大阪府)に住んで、朝夕金剛山をながめている。考えてみると、このように、自己をやや滑稽化する精神が、大阪文化であるといえるかもしれない。」

この「自己を滑稽化する」大阪人との表現は、以前、拙文で指摘した「自己を客体化、相対化して笑いの対象としてしまう」ことに共通します。
そういう大阪人に、時々出会います。例えば、人工衛星で有名な東大阪の青木豊彦氏は、「わたしアホやから、むつかしことわかりまへんが、」と前置きして話し始めます。青木氏と同じせりふを言った後、「何もつっかかってるわけやないんですけど」という運転手のタクシーに、偶に乗ります。

次に、谷崎潤一郎が「文藝春秋」(大正14年10月号)に書いた「阪神見聞録」という随筆から紹介します。

「大阪の人は電車の中で、平気で子供に小便をさせる人種である、・・・・事実私はそういう光景を二度も見ている。・・・二度とも阪急電車であったが、この阪急が大阪付近の電車の中で一番客種がいいと云うに至っては、更に吃驚せざるをえない。」

「大阪の人―それも相当教養のあるらしい、サラリー・メン階級の人々―は、電車の中で見知らぬ人の新聞を借りて読むことを、少しも不作法とは考えていないようである。」

「電車でもう一つ気がつくのは、満員の場合に大勢の人が立っていながら、座席の方はいつも大概余裕がある。融通すればまだ一人二人かけられるのに、誰も席を空けてやらない。・・・荷物を脇へ置いている者が、決してそれを自分の膝へ上げようとはしない。」

「一体に、東京人は見ず知らずの人に向かって話しかけることはめったにない。それは不作法な事であり、田舎者のする事だとしている。大阪人はこの点において東京人ほどはにかみ屋でなく、人みしりをしない。ある場合には却ってフランクでいいこともあり、むしろ美点であるかも知れぬが、これがやっぱり東京人にはづうづうしく見え、不愉快でないまでも『非常識な』という感じを与える。」

「私はいつぞや上方の食い物のことを書いたから、今度は人間のことを書いてみた。が、こうして見ると、人間の方はどうも食い物ほど上等ではないようである。」

散々な評価です。
ここまで貶められると、大阪の人もいい気はしないでしょう。
大阪人の名誉のためにコメントすれば、電車の中で子供に小便をさせる人や他人の新聞を借りて読んだりするような「サラリー・メン」は、もうどこを探してもおりません。

ただ、電車の座席に余裕をもって座っている人は、今も多くいます。
しかし、混雑の状況等を勘案すると、7人掛けの椅子に7人が窮屈に詰め込まれているより、6人がゆっくりと座っている方が自然に思えます。
東京の電車は、規定の人数を座らせるために様々な工夫を施していますが、金属パイプで間仕切りされた座席やラッシュ時に座席が跳ね上がって使えない電車に乗るとため息が出ます。そこまで人間を枠にはめようとするのは、エチケットやマナーという範囲を超えているのではないかと思います。
なお、6人で掛けている殆どの大阪人は、荷物をちゃんと膝の上に置いて座っています。

さらに、「人みしりをしない」大阪人が「非常識」なのかどうかは、意見が分かれるでしょうし、随筆に挙げられている事例は、関西地区に限られないようにも思います。
(この随筆は、私が探し出したわけではなく、昨年、文藝春秋社が出した「『文藝春秋』八十年傑作選」という特集版に収録されているものです。
大正時代の著名作家の辛辣放談もさることながら、80年後改めて「傑作」として世に出す東京の選者の妙なセンスも合わせて紹介するつもりで引用しました。)

3. 関西の反応に変化

ほとんどの関西論は大阪を題材としますが、大阪人が重厚に描かれることは多くないようです。しかし、域外からの茶化した観察に対し、大阪(関西)の人々はこれまで、比較的鷹揚な態度で応じてきたと思います。
この「人みしりをしない」大阪人のフランクな性格が、大都会大阪の発展を可能としてきたのです。

人間国宝・桂米朝の落語に出てくる大阪の人々には、富豪だけでなく貧乏人でも、域内外の人との「アホらしい」やりとりの中に、どこか「ゆとり」を感じます。また、米朝師匠の「大阪弁」も堂々としています。

「封建的権力に対して不即不離の立場にあったのが、大阪町人であった。大阪町人に対する地方人の信用と信頼感によって、大阪への商品回着が必然化したわけであって、大阪人は自己の腕と働きに頼みをかけて、責任あり、かつ信用ある行動をなしたと思う。」(宮本又次著「関西と関東」)

この「関西と関東」は、1966年に出版されました。
著者が自ら、「上方ビイキ」の書だから、「たれか、関東側から・・・私の偏見を是正してくださると有難い。」と言うほどですから、相当に「関西」を誇りにしていたのでしょう。
思えばそれは、NHKの朝ドラ「てるてる家族」が活躍していた時代です。また、大阪万博に向けて、関西が熱くなっていた時期でもあります。

しかし、ストック価値の優劣よりフローの比較が主流となった最近では、辛口の関西評に対して、余裕を持って受け答えできる関西人が少なくなり、「いらち」の性格そのままに反発を示す人が多くなった気がします。
中には、「自己を滑稽化する」より、さらに「自虐的な」発言で人気のある評論家もいます。(以下、井上章一「関西人の正体」から。)

NHKが関西弁は大切だという企画を出すと、この人は、関西弁もついに「絶滅寸前の天然記念物」並みの「保存対象方言」となったと嘆じます。
また、大阪はもとより、御所に天皇がいなくなった京都はもはや「畿内」とは言えず、関東地方が現代の「畿内」となった今日、「関西」とは、昔の「関東」のごとく、「辺境地」の呼称だと叫びます。
さらに大阪は、敷地の殆どが兵庫県伊丹市にある空港を「大阪国際空港」としながら、大阪府内にある国際空港に「関西」とつけた。これは、千葉にあるディズニーランドや国際空港に「東京」を名乗らせている東京とは異なり、「卑屈だ」と言って、大阪の権威失墜を気の毒がります。

他方、「東京は一極集中体制を完了した」が、「(首都の属国と化した)関西は、首都を道づれにしながら没落していくという構図」を脳裏に浮かべて、彼は、日本の先行きにも絶望しています。

4. 関西の盛衰は大阪次第

ここまで、「関西」を話題に取り上げながら、内容の殆どが「大阪」になっています。この点は、私が幾度かレポートで指摘してきたように、「関西問題=大阪問題」だからです。

先に、「三都」はもともと「京・大阪・江戸」だと言いました。
明治以前、これら三都市は国家を構成する重要な地域だったのです。即ち、京は「権威」、江戸は「権力」そして大阪は「経済」の中心地でした。
明治の廃藩置県でも、これらの地域は「県」ではなく、「府」となりました。今日、京都や大阪は、他の県と何ら変わることのない「地方の自治体」ですが、もともと両府の事柄は、東京と同じく「全国区」でした。
(なお、戦時下の1943年、東京は「府」から「都」になりました。)

日本の東京化の過程において、京都は辛うじて一部の「権威」を維持してきましたが、地域と日本の経済をリードしていた大阪は、次第に主役の座から降りていかざるをえませんでした。
現在の大阪は、限りなく「普通の都市」になっているのです。

(関西に「自信」と「権威」を)

帝塚山学院大学で「大阪学」を講じた大谷晃一氏が書いた本に、次の話が載っています。

「フジ三太郎」の漫画家サトウ・サンペイは、大阪から東京に出ました。
上京当初、サンペイ氏は、書き上げた原稿を自分で届けていたところ、漫画家の間で、「あれは三流」との風評が立ったのです。
東京の「一流」は、原稿は取りに来させるもので、しかもその連絡を自分がしてはいけないそうです。
「東京では、あらゆる機会をとらえ、自分の格を上げ、箔をつけなければ蹴落とされる。見栄などという生易しいものではない。」

失敗に気づいたサンペイ氏は、大阪式を改めて、成功しました。
「漫画のフジ三太郎はたえず自分をおとしめていた。だから、最後までヒラ社員であった。そこに、多くの東京人も内心では拍手をしていたのだろう。サンペイのフジ三太郎は、まさしく大阪人だった。」
(新潮文庫版「大阪学」から。)

大阪市生まれの俳優、辰巳啄郎さんは、仕事の関係上やむを得ず、居を東京に移したと残念がっていました。
このように、本意ではないが、活動の重心を仕方なく東京に移す人や会社の例は数多くあるのです。

東京だけでなく、ワシントンを始めとして世界のどこでも首都の置かれている都市は権威主義的です。しかし、日本の一極集中の問題は、政治的権力にとどまらず、あらゆる分野における「権威」が、あたかも東京以外の地からは発しないようになっているところにあります。
大阪・関西には、歴史とともに蓄積された貴重な資産に自信を取り戻して、いびつになった日本の構造を是正する責務があるように思います。

(三都の協力)

今、京阪神を結ぶ地域には、大阪市260万人(府では880万人)、神戸市150万人、阪神間に200万人、京都市150万人、京阪間に130万人など、ざっと1000万人が住んでいます。
東京に匹敵する人口集積です。
この集積人口が活きれば、様々な分野での情報発信が可能となると同時に、また新しい求心力が出てきます。

それには、大阪だけでなく、近隣都市の役割と責任も大きいのです。
先に見た京阪神「三都」の相互関係を勘案すると、有効な協調体制を構築できるかどうか、微妙なところがあります。
しかし、この際、小異を捨てて大同につかねばなりません。

大阪人と神戸人は、昨年、阪神タイガースの優勝で感動を共有しました。
神戸が、大阪と仲良くなり、「関西企画部」の機能を発揮して、京阪神三都の結束強化に一役買えば、京都も巻き込んだ関西全体の蘇生につながるかもしれません。


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