「国際パートナーシップ」試す経済連携協定

2004年4月
東京在住の田村さん

希望に満ちた子供たちーーマニラの月面歩行村で

「月面歩行」という名の集落がフィリピン・マニラにある。典型的なスラムである。慣れない訪問者は月に降り立った宇宙飛行士のように狭い路地のドブを気にして飛びはねるようにして歩かなければならない。「住所」はない。郵便物は「宛先不明」扱いされ届かない。豊かな日本ではみられない光景だが、これからは知らなければならないアジアの風景のひとコマである。なぜかと言うと、自由貿易協定(FTA、日本政府は「経済連携協定」と呼ぶ)締結に向けて交渉が本格化したからである。FTAとは貿易の垣根を外す。フィリピンとはモノ、サービスに加えて介護士などヒトも開放する。反対論も強いが、フィリピンの人々はなぜ外に働きに出るのか、またその最大の背景である「貧しさ」とは何かを知る必要がある。

スラム「月面歩行」はグローバル化の副産物

マニラでスラムは別にめずらしくはない。大統領府であるマラカニアン宮殿のすぐ脇一帯もそうだし、高級オフィス・住宅街のマカティ地区にもある。農村に見切りをつけた人々が大都会になだれ込む。職のあてもなく、スラムに住み着く。ニュータウンが建設されると、資材置き場だった隣の空き地が極端な場合一夜にしてスラムに変じるという。子供たちが廃品を回収するゴミ捨て場の脇にもスラムができる。

「月面歩行」村のすぐ隣は高級住宅街。刑務所のような高い壁で、空き地に面した境界とは鉄条網で仕切られている。一戸あたりの専有面積は18平方メートル程度。170戸、1000人ほどが住み着いている。

「月面歩行」村の人々に暗さはない。子供たちはこざっぱりした服装だし、衛生や栄養状態からくる皮膚病もみられない。おかみさんたちが井戸端会議に興じる3か所の水道場は市が無料で提供した。全戸に流れる電気は村に住み着いたマニラ大学卒の電気エンジニアがきちんと管理して「盗電」する。ほぼ全戸にテレビやビデオがある。パソコンを持つ家庭もあるが、「よく停電が起きて、データがふっ飛ぶ」のが難点という程度で、感電や漏電事故はない。

壁の向こうの高級住宅街は「多国籍村」と呼ばれる。「最初はスラムに当惑したが、これが現実だと思い、むしろ隣組として親身になって付き合ったほうがわれわれのためにもなると考えた」と多国籍村の世話役、ロレンゾさんが言う。援助基金を募ると150人ほどから10万ドル集まり、その利子で月面歩行村など近隣のスラム10カ所を支援するプログラムを組んだ。一口にボランティアと言っても、半端ではない。企業経営の合間を縫って、ロレンゾさんは毎週、6--8時間は「月面」に足を向けて住民から話を聞き、新しいプログラムをつくる。男たちには定職を世話し、主婦には縫製加工を教えた。年長の子供たちには奨学金を支給して専門技能を学ばせ、小さな子供たちには絵書き教室を開く。何人かはいずれ村を巣立ち、海外に出稼ぎに出るだろう。

フィリピンなど東南アジア経済は高成長を通じて国全体として底上げすることで、中間層を増やして社会の安定を達成する好循環パターンが97、98年のアジア危機後、崩れた。最近では中国の競争力に圧倒され、2002年の貿易収支は8億5000万ドルの赤字に転落した。直接投資は2001年18億ドルから2002年は13億ドル(世界銀行の推計)に減った。東アジア向けの直接投資の9割以上を吸い込む中国のあおりをまともに受けている。失業率は2000年以来11%台が続いている。「月面歩行」村はその断面、あるいはグローバル化の副産物なのである。

「ヒト」受け入れ、個人レベル「国際化」に

フィリピン経済はそれでも持ちこたえている。最大のプラス要因は800万人近いと言われる外国への出稼ぎ者による本国への送金である。2001年の送金額(世銀推計)は64億ドルで、フィリピン中央銀行によれば2002年72億ドル、2003年76億ドル、そしてことしは80億ドルに達する見通しだ。日本など先進国からの政府開発援助6億ドル(2001年)をしのぎ、貿易赤字額を大きく上回る。

フィリピン人の一人当たりの所得は日本の35分の1に過ぎないが、一般に専門教育水準が高く、多くが英語で会話、読み書きができる。ネアカで楽天的な国民性も歓迎され、出稼ぎは香港、シンガポール、北米、中東に広がり、職種も家政婦、看護・介護、船員、情報技術者など多岐に渡っている。

香港の場合、政府間協定を結び、一定の基準を満たした質の高いメードさんを受け入れ、雇用者とメードさんが個別に面談して雇用契約を結ぶ。中流以上の家庭の大半は住み込みで雇い、主婦は家事と育児から開放されて外でいきいきと働き、おまけに子供たちは英語でしつけられる。メードさんは雇用主と契約関係でつながるプロである。その間合いは見事である。家族の限られた空間の中にあっても、メードさんの存在は空気のような透明感がある。香港の知人のメードさんはシンガポール、中東、香港と合計で10年以上渡り歩き、本国では2人の息子を大学に入れた。家族のために新居も建てた。

ヒトはモノ、サービスとはわけが違う。日本が介護サービスなどに限定してヒトを受け入れて高齢化社会に備え、フィリピンは雇用と所得の機会を得る。自由貿易は確かにマクロ経済で言う「Win-Win」(共に栄える)なのだが、ヒトの移動を含む「経済連携協定」はそれを個人のレベルに当てはめる。日本にとっては内なる国際化の一歩となり、相手への共感をベースにした日本人の国際パートナーシップ感覚を自然に鍛えるだろう。


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