講演「坂本竜馬の現代的意味・・義と利と自立心」

2004.7.31

以下は七尾が最近、大阪・神戸の港湾海運関係者のグループに対し行った講演録である。


「土曜懇」の皆様、こんにちは。本日は、日本の改革の現段階の意味と今後についてお話せよとのことでございます。外務省には32年間もおりましたので私の日本論は,少々、バター臭いと思いますので、その分は割り引いてお聞きください。ただ、外務省というのは日本のことを海外に紹介し、また相手国の内外の状況を調査・分析することが基礎的な任務ですから、その意味では本日お話しする事の中に何かお役に立つことが含まれておれば幸いです。

まず日本という国、あるいは日本人が、海外の人たちからはどう見られているのかということからお話し申し上げたいと存じます。今、話題となっていますジェンキンズ問題を例にとりあげます。私の耳に聞こえて来るところでは、この問題の日米の政府間のやり取りに関係しているある米側高官は、毎日ボヤいているというのです。「日本側は、この問題は人道問題であり、何はさておき人道上の考慮から、脱走兵とされるジェンキンズの訴追をやめてくれとの一点張りである。とにかく日本側の議論は情緒と感情が勝ちすぎる、論理や権利義務関係の処理という視点が無い、日本は戦前から少しも変わっていないのではないか」といったボヤキのようです。

たしかに人道上の考慮というのは本件の場合、ジェンキンズ氏の米国軍人としての権利義務関係の法的処理の中で酌量されるべき要素ではあっても、他をオーバーライドするものとは言えないという議論は一理あるところで、日本人としても冷静にその言わんとするところを認めるべきなのでしょう。

このようなことからもお分かりいただけると思うのですが、日本人というのはたいへん情緒過多で感情的になりやすい人種だとのイメージが、海外の多くの人たちに抱かれているということなのです。その当否については議論のあるところでしょうが、そのように見られているというのは事実なのです。「日本人を怒らせたら怖いよ、ぎりぎりまで我慢しているが一旦爆発すると日米戦争まで行ってしまうのだから」とみているのです。私は外交官として、日本には平和憲法もあるし、非核三原則もある、悲惨な戦争を大国の間でやって得することは何も無いなどと反論に努めたのですが、のれんに腕押しの態でした。法律や政策なんていつでも変えられるではないか、日本人は感情が高ぶれば、利害の冷静な計算など隅に押しやってしまう人たちであり、とても国際的には「理」の通る国だとは見られていませんよ、という相手のつぶやきが戻ってくるだけなのです。国際関係では実効性のある裁判所もないので対立する利害は「取引」により妥協を図るという側面が強いわけですが、どこか日本国民は取引ということは倫理的によくないことだとの感じを持っているのではないでしょうか。

本題に入りたいと存じます。私は日本の改革というのは、海外からの視点で申せば「理の通る国」、「利害計算のできる国」に変わることではなかろうかと考えています。このような国に変わっていけば、相手国は日本の行動をある程度、予測可能になるわけで、対日不信感はそれだけ減るわけです。

坂本竜馬の小説を書かれた相良竜介氏は、竜馬を「町人郷士」と性格付けしておられます。私はこれは大変、貴重なご指摘だと思っています。竜馬の強烈な自立心、商人的「利」を自らの腕で生み出し国家の大業に注ぎこむ「義」の姿勢には私も惹かれるのですが、この裏には相良さんの分析によれば、土佐の歴史的風土と竜馬の生い立ちの事情があるというのです。

「利」というのは、鋭い計算と努力により得られるもので、浮利や邪道による利益ではなく商人道に基づく正当な利益だというのです。正当な利益を商人が得るのがどこが悪いのかというのが竜馬の考えです。利と義を峻別した朱子学を竜馬は排したといいます。また正当な利とは理にかなった利益であり、「利は理に通ず」と福沢諭吉も言っています。

土佐はもともと長曽我部氏以来の軍事集団が根を張っていたところです。そこへ徳川幕府の登場で、掛川にいた山ノ内一族と郎党がパラシュート降下したわけです。降臨した山ノ内一族に連なる武士達は上士とよばれ、土着の武士は郷士と名づけられて、過酷なまでの差別を受け続けたそうです。このような事情から郷士たちは、自彊自衛、家宅田畑の防備を堅固にし、武士としての義を重んじ、自立心旺盛な性格を強めていったといいます。後の土佐勤皇党は郷士中心の組織でしたし、この流れの中から板垣退助が生まれ、明治の自由民権運動に繋がっていったのだとされます。

竜馬自身の坂本家は、城下で三番目の大郷士の家であり、本家の才谷屋は土佐屈指の豪商だったのです。義と利(理)の両面を背に育った竜馬は、後に亀山社中、今で言う商社を作り、そこで上げた利益を惜しげもなく自分の描く理想国家発足に向けて薩長連合形成のための工作資金や後の海援隊発足に注ぎ込むわけです。

私は竜馬が先輩の友人に送った詩文に彼の烈々たる自立心を感じるのです。

「単身孤剣 志願 就(な)らずんば 復 何の為に君顔を拝せん
浪遊して 仕禄を求めず 半生 労苦を辞せざるところ」

竜馬の「船中八策」はのちの「五箇条のご誓文」のもとをなしたとされますが、明治政府は必ずしも竜馬の意図した方向には進まなかったように思います。板垣の天賦人権の自由民権運動は弾圧され、王権神授の絶対天皇制に向けてひた走りつつあった明治政府は、1880年代の「秩父暴動」を鎮圧します。

この事件の存在については、私は色川大吉氏の書かれた「明治の文化」という本で知りました。学校で日本史の教科書で習った記憶はありません。当時、地方の知的リーダーであった郷士や庄屋クラスは、激動する幕末・明治初期の時代の中で、高利貸に追い詰められた農民の困窮を背景に、欧州の自由民権思想やその他の最新の政治思想を勉強し、明治政府のあるべき姿につき自ら憲法草案を起草するなどして真剣な努力を払っていたのです。度重なる陳情や政治活動に耳を貸さない政府に対し、不満はついに武装蜂起の形で爆発し、山梨、長野にまで飛び火し、結局は政府の警察力と鎮台兵の軍事力により鎮圧されてしまうのです。

彼らは、私有制否定と暴力革命を前提とする共産主義とは明白に異なるリベラルな政治思想に拠っていたと思います。のちの大津事件(ロシア皇太子暗殺未遂事件)において法の支配を守った児島惟謙、大正デモクラシーなども、思想的には繋がっていくのではなどと想像しています。竜馬から板垣退助、秩父事件、などへと繋いで話してまいりましたが、どうやらこれまで教科書などで余り語られる事のなかった「もう一つの日本史」、「自立心旺盛な民衆の日本史」が連綿と伏流水のように流れてきているような気がいたします。

本日の講演の前段における結論めいた事に進みます。坂本竜馬に象徴されるような、義と利(理)をわきまえた自立心旺盛な日本人のDNAが、連綿として伏流水のように生き続け、彼らがもう一つの日本史を作ってきたのではないか、今、日本の改革が叫ばれているとき、このような日本人が一人でも多く出てくることが必要なのではないか、ということを申し上げたいのです。

さて講演の後段は「なぜ大阪か?」ということです。日本は、中央に権力を集中することと地方に分散することとを繰り返すことにより時を経てきたと思います。明治以降は、大正デモクラシーや戦後の一時期の例外はありましょうが、基本的には中央集中のサイクルであったと考えています。太平洋戦争然り、戦後復興然り、高度成長すら然り、中央集権による東京一極集中体制でその時々の国家的課題を乗り切ってきたのです。その時代、時代には必要とされ妥当してきたこの集中体制が、今や転換を求められています。

今次改革の技術的側面や方法論などは議論が出尽くした段階だと思います。グローバル大競争、規制撤廃、小さな政府、地方自治、税源の地方移転などなどは、じわじわとではあれ流れに乗って不可避的に出てこざるを得ないと思います。カネと権限は間違いなく地方にやってきます。改革の現段階で最も意を用いなければならないのはヒトの問題だと思います。

先日来、「大阪港埠頭ターミナル社」の青果部門がアメリカ産ブロッコリーの箱に中国産を一部詰め込み売っていたということで世間を騒がせていますね。大阪市が埠頭の倉庫業を第三セクター方式で始めた事業の一環ということのようです。この事件で明らかなのは、いかにすばらしい考え方のもとに新たな組織を作って民営化を試みても、その入れ物に入る人間が、東京集中体制型の人間だったらうまく行かないということではないでしょうか。

今求められている人間像は大阪型というか、竜馬型というか、そういったタイプなのだとおもいます。義と利(理)を重んじ、自立心旺盛な個人を評価する伝統が、大阪では強いと思います。近松や西鶴ものを大阪人は永い間、心の糧としてきているのです。大阪は、日本改革の本丸となるべき素地を備えていると思うのです。

惜しくも最近亡くなられた網野善彦という歴史学者がいます。彼は日本の歴史はその時々の民衆により作られたという側面を重視すべきだとの考えから、中世の混乱期(足利時代後期から秀吉の全国統一まで)を重点的に研究・例証しました。と同時に、彼は日本の東と西の違いというものにも踏み込みました。

いわゆるイエ(家)制度についても、東日本では長子相続が一般的でイエは本家を中心に運営されたのに対し、西日本では百姓株の分割相続も認められ、次男、三男坊だからと言って常に冷や飯食らいではなかったし、妻の地位も一定の範囲ではあれ尊重されたとしています。社会の支配・生産体制の基礎となるムラについても、東日本では家父長的父系社会の色が濃く、支配者対農奴といった絶対的権力関係であり、神社も比較的粗末で権力者に所属することが多かったが、西日本では、村の運営は村民の講を中心になされ、葬礼、祭礼も、講が担当した、神社も豪華なものが多く、村共同の宮座に所属した、としておられる。

誠に興味深い研究で、私ごとき門外漢が軽々に断定的なことは言えないにしても、稲作の有無による生産力の差があった時期にこのような違いが生じ、その後も残ったのではないかなどと勝手な空想をもてあそんでいる次第です。

ともあれ東日本の垂直的な体制に対し、大阪や西日本には水平的社会のイメージが浮かんで来ます。とはいえ、改革に必要とされるタイプの人物が輩出する素地はあるにもかかわらず大阪は、東京や中部圏の後塵を拝しているではないかとのご批判が直ちに聞こえてまいります。素地はあってもなにかが欠けている。求められるタイプのヒトがそれに見合った部署に配置されていないということではないでしょうか。

形式的に大阪に本社のあるにすぎない企業や、たかり民主主義・ばら撒き行政と揶揄されるに到った東京中心体制に、長らく慣れ親しんだタイプの人が、地域経済団体や、企業のトップに座り、あるいは自治体の首長を務めているという事ではだめなのだと思うのです。東大阪市の路地裏の名も無き中小企業でもいい、社員として東京駐在の経歴が無くてもいい、住民の手作りでキラリと光る行政サービスを低コストで提供している村落や町内でも良い、大阪を愛し、大阪に根を張って生きていこうとする企業、個人、自治体が大事なのだと思うのです。そこで成功した事例をインターネットで全国発信するべきなのだと思います。

この場合、第一線をそろそろ退き、第二の人生に入ろうとする我々世代の役割は大変大事だと思うのです。ゲートボールに興じるだけが第二の人生ではないと思うのです。それぞれの分野で30年、40年と経験をつんできた多彩な人材が、市町村役場の仕事を週一回、一回一時間でも無報酬で分担し合い、行政コストを下げ、行政内容を充実させる事に奉仕すれば大変な改善が見込まれます。シニアシチズンの貢献は、GDPには表わしえない底力を日本に付けていくのではないでしょうか。義と利(理)を奉じ自立心旺盛なシニアシティズンは大阪に集まれ、です。

私は外務省を辞めた後、ロッキー山脈で知られる米国コロラド州の人口30万のコロラドスプリングズという町に一年間、名誉市民として滞在し、無位無官の立場から彼らの社会が、一体どのようにして動いているのかをつぶさに勉強しました。驚いたのは、市長も、たった8人の市会議員もみんな本業を持っていて、公職は無給の奉仕なのです。そういえば日本でも有給の町内会長さんなんていませんよね。どうして区長や市長は給料が要るのでしょうか。明治の官選知事などの伝統が関係しているのかもしれませんね。

彼らの社会を見ていて納得と思ったことがありました。ある土曜の午後、町のクラブで会合があるから来てみないかと同市の前市長から声がかかり、行ってみました。三々五々その町の旦那衆と思しき人たちが20人くらい集まってきました。みんなクラブの顔見知りの面々で気楽な服装で午後の酒をやりながらのファーストネームで呼び合う仲間たちの集まりです。その日のテーマは、町の発展のために或るマイナーリーグの野球チームを市に呼びいれホーム球場も作ってあげてはどうかということでした。静かで真剣な議論の後、町の財政状況からみて他に投資すべき優先事案があるという方向でのコンセンサスが浮かび上がってきました。この会合には現市長の腹心もそれとなく参加していましたので議論の方向は市長にも後で伝わるという仕掛けです。誰もが一目を置く町の旦那衆の議論の結果ですから、それなりの重みを持ってくるのです。

私は中世の京都の町衆政治を思い出しました。旦那衆や、職業別の講などを通じて意思決定や自治が中世の京都で行われていたのです。まさにアメリカでも同じだなとの感を深くしました。表向きの民主政治のためのルールや議会制度などの仕掛けと表裏一体で、地方社会のリーダーともいうべき旦那衆が大きな問題では動いているのです。表の看板だけでは彼らの社会の実相は見えてこないものだと思ったことでした。無私のリーダー達と個々の有権者とは、民主主義を動かす車の両輪なのだなと感じました。

最後に、改革に取り組む各国の最近の動きにひとこと、触れておきます。改革のためには民営化をしないとだめだなどといわれますが、急進的な民営化を進めたニュージーランドやデンマークなどではその反省が見られます。全国にある公立病院を民営化してはみたが、全国的な医療政策目的の追求や、一定の医療水準の維持などがおろそかになり、ゆり戻しが起きています。独立させた医療法人の経営者たる院長には引き続き、日々の運営は民営化の趣旨どおりやらせる一方、その任免や全国的政策の問題については監督官庁の一定の権限を復活させているのです。

国公立大学の独立行政法人化がわが国でも進められていますが、英仏など欧州諸国の例では、エージェンシー化はやるとしても、学長の任免権や公益の観点からの大所高所からの指導の権限は所管大臣が引き続き持つとのやり方をとっています。アメリカのように刑務所まで完全民営化をしてしまい、コスト引き下げのためしゃにむに看守の数を減らしてしまうので受刑者の逃亡が後を絶たないといった愚は欧州諸国はやっていないのです。日本の土壌から言って、対決型社会であるアメリカよりも欧州諸国の例を日本はより参考にするべきだと私は思います。

色々と述べてまいりましたが、終わりに改めて、シニアシチズンによる対価を求めない奉仕が、日本の改革のために大事な役割を果たすのだということを再度、強調いたしておきたいと思います。シニアシチズンのそのような無私の働きを傍で見ている若者はきっとそこから何かを学ぶのだろうと思うのです。昨今、児童や若者の教育がおかしいとして教育関係者や政府へ批判の目が向けられがちですが、教育は社会全体で、そしてコミュニティが一丸となって行うべきものであり、教師による学校教育はその一部に過ぎないのだと思います。米国のある高校では、生徒が校舎を傷つけたり壊したりするのを見て、左官屋であるある父兄はヴォランティアで校舎の壁のペンキ塗りの奉仕を黙々と始めました。それを見た生徒達は校舎を傷めることをピタッとやめたということです。

色々と支離滅裂なお話をいたしましたが、本日はご清聴ありがとうございました。


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