お題目とパフォーマンスばかりのこの世界・・・・『沈黙の世代』から

2005年8月 八幡武史(東京在住)

「ひとりひとりのルネッサンス」なる言葉の意味を考え、最近、ぼくなりに理解し始めました。以下は小生の考え方、ルネッサンスへの方向付けです。

1. ぼくらの世代

まずは一人一人の心情のことについて話します。世代というのは重要なポイントです。小生は昭和15年生まれ、西暦1940年、紀元2600年の世代です。われわれ以前の世代、つまり戦争体験世代、彼らは戦時下にあって『集団催眠』にかけられていた人たちです。それも個人それぞれ置かれた状況で微妙に異なるでしょう。しかし、だれしも『お国のために死ぬんだ』『死んでもいい』と漠然と、或いは本気で思っていたのでしょう。また、中国、朝鮮半島の人々に対しては優越感、偏見、蔑視、差別の心情を抱いていたはずです。逆にこれらの国々の同世代の人たちは、日本に対して激しい憎悪感を抱いていたことでしょう。どうしようもないですね。誰しもが『集団催眠』(後で詳しく説明します)にかけられていたのですから。

冬ソナ、キムチの韓流文化に熱中する若い日本の女性。逆に日本のポップス、ファッションに憧れる中国、韓国の若い世代。日本、中国、韓国(順不同)の指導層がパフォーマンス(この言葉の意味も後述)として、あの戦時中のことを持ち出しても、渋谷に集う若者たち(最近は韓国、香港あたりから来る若者を含め)には到底理解不能、「よく分からない」のではないか、と思います。

文部当局(文部科学省)が愛国、日の丸を小学生に教えようとするなんて笑止ということです。昔でも、いくら愛国教育をしたところで、現実が吹き飛ばしてしまいました。敗戦で価値観が180度変わってしまった小生の兄(昭和11年、1936生まれ)なぞ、終戦直後、首都上空を地上すれすれに飛ぶB29を見上げ、「すげえなあ」と嘆息。友だちとの会話でも、かつての軍国少年たちは「こういうことをいうと、『軍国主義的』だけどさ」なんてすぐに、戦争批判らしき話をしていたのを、当時5歳ぐらいだったぼくは覚えています。子どもはすぐに、ごく自然にアタマを切り替えます。

2. 意味のない愛国教育

文化大革命のころ中国指導部は、子どもたちに『美(米)帝国主義反対』を叩き込みましたが、今ではどうですか。旧ソビエトロシアの赤いスカーフのピオニール、ドイツのヒットラーユーゲント、日本の鬼畜米英を叩き込まれた軍国少年・少女。現代の中途半端にオトナになった連中は完全に忘れ、頭の片隅にも残っていないでしょう。指導層は現在の自分自身を振り返り、まず範をたれるべきです。いきなり国を愛せと、日の丸、国歌を持ち出したりすると子どもの信用を失うでしょう。すでに失っていることが分からないのでしょうか。

因みにぼくの世代(ぼくは自分勝手に『沈黙の世代』と呼んでいる)の隣国に対する潜在意識は『怖い“第三国人”』とでもいいましょうか、たまたまぼくの育った東京都心の終戦直後、新宿、新橋などの闇市では連日、彼らの暴力行為が話題となり、幼い小生の耳にも入ってきたものでした。近くに住んでいた在日の家族は羽振りがよく、大人たちはひそひそ声で「あの人たちは暴力団だ」などと、囁きあっていました。

“第三国人”という言葉は死語となり、うっかり使うと、東京都知事のように叩かれます。今の日本の指導層は古い戦前の呪詛に完全にかかっていて、改めることは不可能です。われわれの周囲を見てもお分かりでしょう。差別、偏見、妬みといった人間の潜在意識は容易になくならないものです。批評家の肩書きを持つ人たちでも太平洋戦争、第二次世界大戦を境に、それ以前、その最中、その後に生まれた人たちの意識は微妙に、いや、まるで違います。異なる環境、特に取り巻くモノが昔とはすっかり違う、別世界に生まれ育ったケイタイ電話文明の真っ只中にいる若い人たちから見ると、われわれは『考古学上』の人種でしかありません。ぼくの少年時代には、日露戦争で活躍したという爺さんがわれわれの周囲にはいたものです。そのころぼくは爺さんたちの話を聞いて、怖しく昔の話だな、と感じていました。60年前の1945年といえば、まだ前世紀生まれの人たちがトップにいて、とてつもなく大きな戦争の当事者だったわけです。

3. ひとりひとりのルネッサンス

そこで「ひとりひとりのルネッサンス」です。人間には知能、叡智というものがあります。同時代にいなくても、資料はいっぱいあります。先輩、先人から話を聞いて歴史を振り返り、自分の置かれている立場を考えることができます。特に戦前、戦中はお題目を唱えれば国民は唱和し、大合唱となり、集団催眠にかかりました。ヒットラーは子どもから花束をもらい、時の総理、今話題になっている東条英機は一般家庭のゴミ箱を覗いたりするパフォーマンスで、さらに催眠状況を盛りたてました。

今日の日本の政治家、官僚はまったく同じ手法で国民を自分たちの都合のよい方向に引っ張ろうとします。戦後すぐに一億総ざんげ、民主主義(これは戦前にはなかった言葉)。戦後復興が頂点に達し「もう戦後ではない」。そして景気が下降線になると、オリンピック、万博を日本全国の旗印にして、古い建物を壊し、河を埋め立て、高速道路、橋梁を造ります。古きよきものまで破壊し尽くしました。東京の古老は「東京オリンピックを境に、東京は変わってしまった」と嘆きました。ルイ15世ではないがApres moi le deluge(後は野となれ山とれ)。土建業者はディベロッパーと称し、政治家と癒着、今日のありさまになったのはご承知の通りです。大きなプロジェクトの後は不況が襲うのは歴史的な事実です。そこで国家としてお金が底を突き始めると、昔だったら戦争に走るのですが、現代ではそうもいきません。列島改造、行政改革というお題目が出てきました。『行政改革』の土光臨調では土光氏の本意に関係なく、土光さんはメザシを食べ、畑仕事をしているとかのパフォーマンスが強調されたりして国民は踊らされました。よく考えると、都心近く(神奈川県鶴見市)で畑仕事ができるという贅沢を享受できる一般庶民がいたでしょうか。

4. お題目とは

それでも、いまでもこの『行政改革』のお題目は生きていて、最近では『構造改革』と名を変えています。あい変らずこのお題目に引っ掛けて、再開発、ビッグバン、ペイオフ、不良債権処理、骨太の改革、三位一体、郵政改革、常任理事国入り、拉致問題、イラク後方支援、テロ対策などなど。お題目とパフォーマンスがごちゃごちゃになって、一般人も当事者もなにがなんだか分からなくなっています。

新聞、ラジオニュースではきちんとした説明がなく、突然に『ペイオフ解禁』なんて出てきます。お宅の、あるいは近くの郵便局に来るお年寄りに理解できますか。いつの間にか金融機関が一番恐れていた『取り付け騒ぎ』がこの世から消えました。すると金融業者は、不良債権とは関係のない『無辜の民』の預金者の、当然受け取るべき金利、利子をほとんどゼロにしてまで、搾取します。一方、銀行の頭取が知り合いの女性に何千億というお金を融資して不良債権を発生させながら、かなりの退職金をいただき、老後の心配もなく、安寧に過ごされているとか。羨ましい限りです。

怒りがこみ上げ、興奮して話がわき道にそれました。国の為政者、当事者のパフォーマンスのことです。国連安保理常任理事国入りが、なぜ急に取りざたされることになったのか、フツーの人々にはさっぱり分かりません。前の女性外務大臣だったか常任理事国入りの理由として「山がそこにあるからだ」とかいっていました。当事者でさえ無理だと心の内で思っているのでしょう。

これらのパフォーマンスはことごとく失敗しています。それでも反省することなく、総理はオペラ、歌舞伎に出かけ、官邸を訪れるキャンペーン美女に花束をもらって悦にいっています。このようなパフォーマンスが国民受けをするとでも、いまだに思っているのでしょうか。この人は政治の混乱と政局混迷をひとりで楽しんでいるようです。彼は言ったでしょう。就任当初、「私は自民党をぶっ潰す」と。彼には特に特定の企業、業界のバックは最初からなく、気楽です。子孫に残す地盤、資産とか関係ないのですから、離婚経験ありで、実子との縁もさほど深くはないようです。普通、政治家が抱えるしがらみといったものがまったくないようで、「いつでも辞めてやる」という開き直りの姿勢がありありと見えます。パフォーマンス好きですから、ある日突然、羽織袴にきめこんで靖国神社に向かうでしょう。話は逸れますが、何故あれほどまでにブッシュ大統領のアメリカに追従するのでしょうか。私見ですが、案外簡単な理由だと思います。初めての会談で「取り込まれた」のではないかと、推察します。事実、素顔のブッシュ氏はとても愛想がよく、アメリカの善意の人の典型とさえ、いわれています。

5. マスコミのだらしなさ

マスコミの記者らから『ぶら下がり』(なにかあると、官邸の階段の途中などで取り囲み取材すること)で、コメントを求められると、小泉さんは遠くを見ながら、よそ事のように話します。記者団は芸能記者がスターに群がるように、当たり障りのないことばかり質問し、突っ込みません。若いうちから三つ揃い、縦縞の背広を着たりして、なにか偉くなったような気がするのでしょうか。彼らは新米記者で、『ぶら下がり記者』『少年探偵団』とかいわれています。相手の厭なことを執拗にぶつける取材姿勢(根性)は、芸能記者を見習うべきでしょう。

6. 裸の王様ばかり

国の頂点にいる人と、その取り巻きの連中は、「国民は操作できる」と思い込んでいるようです。まるで戦前の、宣伝相を抱えていたドイツ帝国のヒットラーです。国民はそれほど馬鹿ではありません。裸の王様に気づいています。それでも、いちいち彼らのパフォーマンスに付き合わされてはたまったものではありませんね。政府(官僚)は金融政策、税制、福利厚生、表向きはなんでも、いちおう有識者とやらで構成する委員会、懇談会に諮問します。顔ぶれを見ると、年金しかない納税者としての普通のサラリーマンは一人としていません。これらの委員会は、失礼な言い方だけどローンの心配などまったくない、裕福な御用学者やお金持ちらで構成されています。

お隣の国の一番偉い人の、偉大なるパフォーマンスに付き合わされる人たちには同情します。前の大戦でも戦争の音頭取りは時の為政者、実行は犠牲を強いられる国民でした。21世紀の現代でもこのパターンは変わっていません。イラク戦争でも顕著です。アラブの一人一人の心に、アメリカに対する憎悪の心情が子どもたちにまで植えつけられました。これから何千年にもわたって引き継がれていくことでしょう。

国内政治に行き詰まると海外に国民の注意をそらします。どこの国でも。靖国、教科書問題などを見れば分かるでしょう。尖閣諸島問題でとう小平は「次世代の人たちが解決する」と言ったものです。戦争体験世代がこの世から消えて、しがらみを忘れ、戦争が歴史の一ページとなって、現在の主導権を持つ中央部の人たちが完全に消え去り、靖国も教育問題も対外戦略として利用できなくなり、中央政党が生まれ変わってこそ解決の道が開けると、とう主席は言っているのではないのでしょうか。十億の民を纏めるには大きなお題目、旗印が必要です。中国の国歌は抗日戦の歌ですよ。

日本ではそうこうしている内に、いつの間にか政局だけに政治家の関心が集中、かれらの催眠状態に巻き込まれます。ぼくは集団催眠とかお題目ということばを使いますが、なにも日本人だけの話ではありません。欧米でもヒットラーのナチス時代、9・11直後のアメリカなどの例があります。ただ日本は国土が島国で狭いので、伝播が早く催眠効果が直ちに現れます。

7. お題目

お題目とはそもそも宗教用語で、日蓮宗が源です。「南無妙法蓮華教」というお題目は太鼓を打ち鳴らしリズムに乗ると、なんだか気持ちが高揚してきます。意味が分からなくても、太鼓に合わせ大合唱すると次第に法悦状態となります。アメリカなどでも何千人が一堂に集る大きなアリーナのような所でやりだすと、凄い熱気に包まれ、ことばの意味が分からない外国人でも大法悦となり、いつの間にか取り込まれるそうです。日蓮信者にミュージシャンが多いのも、リズムに乗りやすいからと、ぼくは解釈しています。「南無阿弥陀仏」ではリズムが悪く、そうはいきません。

法悦状態になるとなんでもできるという錯覚に陥ります。これがぼくのいう集団催眠です。法悦状態からくる錯覚は単独でも得られます。意識不明になるほど酒を飲んだり、覚せい剤を服用したりすると、簡単に夢の中に入れます。だれでも経験がありますね。アメリカでも伝道師のビリー・グラハム氏でしたか、集団催眠に長けた人がいましたし、ガイアナの宗教寺院での集団自殺もありました。共通するやりかたは、教祖なる人物はかならず聴衆に向かって問いかけ、おなじ言葉を繰り返させます。タモリの番組で、笑いを強制したり、「いいかなっ!?」と一斉に、拍手や声を出しての同意を求め、大合唱させます。ちょっと似ています。

「年季のいった詐欺師たち(ぼくは関係ありません)の仲間内では、お金儲けをするには宗教が一番、といわれ、古来多くのインチキ宗教が生まれて来ました。なぜか皆さん、よくひっかかりますね。皇室に慶事があったり、ご不例があったりするといち早く駆けつけ記帳する人たち。新年参賀に必ず出かける人たち。いわゆる無辜(むこ)の民です。こうした人たちがいる限り日本は安泰である、と内心思い、一時しのぎに財政赤字なんかどうにでもなる、税金で合法的に国民から搾取すればいいと、なんでも好き勝手をする政府、役人。まだまだチャンスはいっぱいあると、ほくそえむ詐欺師たちは同類です。

以上がぼくの「ひとりひとりのルネッサンス」の一端です。(了)


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