復興経費は数世代の負担で

2011. 10. 2  七尾清彦 記

東日本大震災の復興経費ファイナンスについて、どうも解せないところがある。昨今、与野党とも、そしてメディアを含めオピニオンリーダーまでが、「われわれの世代に起きた災害だから、あとの世代の負担としないよう、われわれ世代の負担で復興させなければならない」ということが、どうも当然のことのように語られている。しかし、早急にわれわれ世代で復興させなければいけないと云うことと、その費用の負担もわれわれ世代で背負うべきであると云うことは、あきらかに別の問題である。前者はその通りだが、後者は間違いであると思う。(注:本稿を発信して約一週間後、自民党内では建設国債に準じて返済は60年程度とするべきであるとの意見が強まりつつあるとの報道がなされた。)

今回の大災害で壊され失われたインフラ・家屋・田畑などの多くは、過去幾世代にもわたって蓄積・維持・改良されてきた「資産」であり、その復興経費は本来、現世代のみならず後々の幾世代かに亘って負担されていくべきものであると考えるべきではなかろうか? これに対し、累積財政赤字縮小の類は、ほぼ今の世代の間に蓄積されたものであり、これを後世の負担にしてはいけないというのは、道義的にも財政学的にも尤もだとうなづける。同様に原発災害に対処するための財政負担も、現世代が起こした人災である以上、現世代が負担するべきであろう。

極端なことを言えば、千年・百年に一度の大災害なら、その復興経費の負担は、本来その間に亘っての多くの世代が営々と薄く永く負担して行けば良いのである。百歩譲って例えば50年間に亘っての負担で行こうと云うことになれば、一世代約20年としても二世代半で完済することになる。その間の日本の国家財政に対する内外の信用は基本的には、復興ファイナンスに因る赤字幅の拡大の度合いに影響されるのではなく、借入資金が資産の再構築ないし改善にきちんと使われるかどうか、そのための借金の返済スケジュール及び支弁のための税などの財源が法律により確立・確保されているかどうか、その実行を保証しうる政治・経済・社会の安定が見通せるかどうか、 に在るのであり、むしろ急ぐべきは経済の回復と再活性化、社会の安定維持、そして税収の回復にある、と言える。復興経費の返済を他の累積財政赤字のそれとごった煮にして返済を急ぐようなことをすれば、折角の経済回復の芽を摘んでしまう可能性が高まり、後世に余計な負担を送りこんでしまう。国家財政の帳尻合わせは進むだろうが経済そのものを無用に疲弊させてしまうので、愚策というべきである。

のみならずより問題なのは、返済を短期に終えてしまおうとすればするほど、復興計画の中味はどうしても貧弱なものにならざるを得ないと云うことだ。海岸沿いの鉄道をトンネル続きでも良いからより高台に敷設し直すといった、「英明なる選択によるケツの穴のでかい復興事業」をやってこそ、子子孫孫から良いことをしてくれたと感謝されるのであり、日本国の安全と発展が約束されうるのである。

大災害からの復興は一日も早く急ぐべきであるが、その経費の返済にあたっては、被災者の生活補助など運転資金的なものは別として、資産形成にかかわる復興経費は、すでに傷つき喘いでいる現世代のみが負担すべき筋合いのものではない。


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