「環太平洋経済連携(TPP)」は国際政治上の問題だ

2011.10.26 七尾清彦 記

1. はじめに

米オバマ政権は「環太平洋(経済)連携―TPP」という旗のもと、日本などに歩調を合わせるよう働きかけを強めている。この地域経済統合のための構想は、米国を含む関心国の間で9回目の予備交渉が本稿執筆現在もペルーのリマで進行中であり、今秋のAPEC首脳会議のタイミングで具体的交渉開始のための基本合意を目指している。

これに対する日本国内での論議はようやく白熱化して来てはいるが、何時か来た道、すなわち農業団体のムシロ旗が農水省や経団連会館に押し寄せるという見慣れた構図のもとで、政争次元での儀式とも言えるようなことが又もや繰り返されているように見える。「結論先送り・部分的譲歩・圧力団体へのつかみガネ」という当座の糊塗策だけで切り抜け、事案の本質を見据えて正面から取り組もうとしない政治屋的政治とも揶揄される事例がこれまでもしばしば見られてきた。しかし、このTPP問題は後述するように、通商・経済の次元を超えた重大な外政的意味合いをわが国の将来に投げかける事案であり、次の選挙で有利か不利かといった次元でものごとを考えがちな政治家に任せておくようなことがあっては、取り返しのつかないことになる。

私は、環太平洋諸国の間で経済連携を高めて行くことに基本的に賛成であるが「米国との意思の疎通、中国の取り込み、農業など日本の国内態勢の着実な整備」が必要不可欠であると考えている。日本外交は明治維新以来、ユーラシア大陸諸国と組むか、それとも英米などの海洋通商諸国と組んで行くかの悩ましい命題のもとに揺れ動いて来た。今回のTPP問題は、日本の国運を左右しかねないこの命題に、再び問いを投げかけているものだと思われる。職業政治家だけに委ねておけない重要案件であり主権者自身の主体的判断が求められている。メディアの論説陣やオピニオン・リーダーたちには、この問題についての冷静な分析と構想力を示してもらいたいし、国民一般に意味のある選択肢を投げかけてもらいたいと願う。ムシロ旗かソロバンかの選択肢しかないというのでは、余りにも知的に貧弱な国情ではなかろうか?

2. 米国(オバマ政権)の焦り

冷戦でソ連に勝利したと思った米国は3年前、リーマンショックと言う形で世界経済へのグリップを失い、国内経済は低迷、夢を抱けない若者たちの間では社会問題化の兆しも出てきている。勃興するアジア太平洋地域での米国の相対的経済的地位は低下の一途をたどっている。来年秋に大統領選を迎える米オバマ政権にとってはこれら内外の諸困難は内政上の苦境につながっていくものであり、これを乗り切っていくためには、有権者や産業界に対し夢を抱けるような諸政策の提示を迫られている。内需の回復が芳しくない現状では輸出に期待せざるを得ないが、EUや日本の経済も低迷している中では簡単ではない。5年間で輸出を倍増させるとしているが年率15%もの輸出の増大を図ることは、た易いことではない。このように見て来れば、TPPを巡るオバマ政権の動きの背後には、大統領選で再選を図ると云う国内政治上の「焦り」が相当あると見るべきである。TPP予備交渉へ参加している国々の顔ぶれをみても、米国の輸出を倍増させる上で大きく貢献できるような国は含まれていない。米国の狙いは太平洋圏で世界第2位、第3位のGDPを有する中国と日本の市場であることは明らかである。

3. TPPは国際政治・戦略問題

オバマ政権の当事者たちが明確に意識しているかどうかは判らないが、このTPP構想は外見は国際経済問題を装いつつも、実体はすぐれて国際政治・戦略上の問題と見るべきである。引き続き経済開放路線を採るよう中国に誘い水を示しつつも、もしこれに中国が容易に応じない場合には、米国は中国抜きのTPPのもとではより優位となる主導権をバックに、中国には最恵国待遇を与えないという選択肢をとることがありうるからである。あの太平洋戦争は大恐慌のあとの経済的困難の中、中国の門戸開放を巡って日米で生じたものであることは記憶に新しい。今回は米国の相手役が、国力伸長著しい中国にとって替わりつつあるという構図ではあるが、間に挟まれる現代日本は当時よりも海外依存度をはるかに高めた国情にあり、仮にも米中が対立する場合には、かって経験したことのないような困難な立場に立たされる危険が潜んでいる。

鳩山由紀夫総理(当時)が東アジア共同体構想を民主党のマニフェストに含めたのが09年7月(9月にはこれを中国に対し提示)、オバマ大統領が議会両院議長に対しTPP交渉に参画するとの意図を通報したのが同年の12月であった。勘繰りとの誹りを恐れず申せば、鳩山の動きをオバマは米国から距離を置いた日中結託という危険な試みと読み、触発されてしまった可能性がある。オバマは鳩山の動きを阻止せんがために当時、小国間のみで進められていたに過ぎないTPP予備交渉に急きょ途中参加し、その枠組みを利用して日本および出来れば中国の取り込みを目指すことを決意したといった推測も可能である。

ガット・WTO体制のもとでのグローバルな自由貿易体制は曲りなりに維持されてきてはいるが、世界経済の成長鈍化のもとでドーハ多角的貿易交渉は進まず、結果、二国間自由貿易協定(FTA)が雨後のタケノコのように蔓延しつつある。アジア・太平洋でも比喩的に申せば、ASEANという花嫁との間でのFTAと云う名の婚約指輪が多く交わされ、そのネットワークがほぼ仕上がった段階にある。とくに注目を要するのは昨年合意に達したASEANと中国との自由貿易ゾーンの設定である。世界経済の成長エンジンである両者の間の経済連携の拡大という宴に、米国は参加出来ないでいるのである。東アジア三国(日・中・韓)の間の経済連携も地縁的要素もあって実体としてはどんどん進むだろう。西太平洋で、かりそめにも南北に走る経済的活断層が形成され環太平洋諸国を東西に隔てるようなことがあれば、政治や安全保障にも必ず影響が及びこの地域での米国の経済的政治的影響力は大幅な制約を受けることになりかねないのである。

4. 「高い水準の経済連携」の意味

米通商代表部カーク大使は上述の09年12月に両院議長に宛てた書簡の中で、TPP参加についてのオバマ大統領の意図を説明しているが、注目を要するのは次の2点である。TPPによる輸出などの拡大により米国内の良質な雇用を増やすだけでなく「保全(retention of good jobs)」も図ると明言していることが一点。  2点目は、米国としてはTPPにおいては「高い水準(high standard)」の経済連携を目指すとしきりに繰り返していることである。いずれも米国が強みを有していると信じる分野(金融・通信・ハイテクなどの先端分野のみならず、比較優位の農業も含む)は決して他国に譲り渡さないぞと明言している訳である。

思い起こされるのは、1980年代以降の日米経済交渉では、70年代のカラーTV、鉄鋼、自動車などの単品交渉ではラチがあかないとの焦りから、戦略的セクター丸ごとに国内措置や流通の実態、商慣習なども含め社会秩序全体の変更・撤廃を外圧として要求するやり方に米国は転じており、TPPのもとでも「より高い水準の経済連携」目指すと主張している以上、同様の交渉手法が踏襲されることになるであろう。これがASEANや中国など成熟度のまだ浅い経済・社会にそのまま応用されていけば、米国との間で大変な政治的摩擦と緊張を生じることは日本の体験に鑑みれば想像に難くない。

5. おわりに

以上述べて来たところからもご理解を願えると思うが、TPP構想が中国を含む形で太平洋地域の政治的・経済的一体性を高める方向に進む場合には、日本としても欣然、積極推進に応じるべきであるが、そのメドが立っていない現在では慎重を期すべきであり、11月のAPEC総会の機会にTPP協定の大枠が仕上がり参加国の間で具体的自由化交渉が始まるからといって、日本が「交渉参加」のカードを易々と切ることは余りにも政治的に拙速、経済的に近視眼的である。オバマ政権の動きが、通商経済的実益を直ちに求めると云うよりも国内政治上の必要から生じている可能性が高いことや、中国ないしASEAN主要国の態度が明確になるに至っていないことなどから見て、時間はまだ十分にあると見るべきである。

日本の切るカードは、もとより大変値打ちのあるものであって、安易な安売りや叩き売りをするべきではない。まず中国の考え方を十分に把握することが絶対的に必要である。煎じ詰めたことで言えば、日本は中国の参加が確保されるのであれば参加するということだ。米国とFTAを署名した韓国が日中に先駆けてTPPに参加する可能性も云々されているが、わが国の意のあるところを韓国に良く伝えることが必要である。

米国に対しては、「より高い水準の経済連携」を性急に求めることは、中国やASEAN有力国のTPPへの参加を躊躇させる恐れがあり、慎重なる配慮が必要であると働き掛けるべきである。

TPP内で日米が経済交渉をするとなれば、それは単なるお付き合いとしての受動的交渉ではなく、域内外の諸国に対してモデルともなるべき交渉を目指すべきであり、そのためにはそれなりの覚悟や国論の統一と交渉に備えた国内での政策措置の実行が、交渉と並行して取り進められなければならない。とりわけ衰退著しい農業をこの機会に将来性と活力のある農業に再建して行く措置が不可欠である。現在の農政を概念的には二分し、1.平地農業にあっては国際競争力の抜本的強化策と、2.競争力の向上を見込めない中山間地農業にあっては国家食糧安全保障、国土保全あるいは地域社会活力維持などの非経済的政策目的に立脚した所得補償措置の大幅な強化、が必要であるがこれらについては他日に論じることと致したい。


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