シリーズ「東京の60年」

八幡武史(東京在住)

私は昭和15年(1940年)東京(市)に生まれた。東京といっても広いが、地図で見ると山手線の真ん中、JRの駅名でいうと飯田橋、市谷あたり。近くに神楽坂という大きな坂があり、そこには花街があって、最近は粋な街として情報誌やテレビの旅番組などで紹介されている。

さて60年前だが太平洋戦争中、何度かの空襲で、あたりは完全に焼け野原だった。幸いわが家は焼け出されずに、神楽坂の上の奥にあった住宅街で、奇跡的にも類焼を免れた。街は市谷の陸軍省を控えていたせいか、高級将校、大臣の家が多かった。もちろん、私の家はお金持ちでも地位のある家でもなく、単なるサラリーマン家庭だった。といっても、ある雑誌の編集者で、会社が近かったので、たまたまそこで私も生を受けたのだった。山手線でいうと市谷から縦(南北)に出版関係が多く、大日本雄弁会講談社、新潮社、受験本の旺文社などがあり、大日本印刷をはじめとする印刷業、製本業など関連産業も多かった。

そこは牛込台といって、標高も東京一高く、今では想像できないが、わが家の二階からは焼け野原の東京全体が見渡せた。東西南北でいうと、南は焼け残った国会議事堂。黒と白のだんだらの迷彩が施されていた異様な建物だった。それに靖国神社の森。北は護国寺、鳩山邸、東は東京湾にかけて神田、本郷(東京帝国大学)、上野の森。西は新宿まではっきり見えた。新宿は三越と伊勢丹の焼けビルが目立ち、冬になると富士山が丹沢連峰の向こうに、戦争なんかまったく関係なかったかのように、澄んだ空気の中、美しくそびえていた。私はそこで生まれ育ち、母、兄妹は今でも同じ所に住んでいる。地方、海外勤務を除き、戦前戦後60年以上も定点観測してきたわけだ。そんなわけで私は、「私の東京の60年」を見たまま、五感で感じ取ったままを書き留めておきたいと思う。

東京の60年(その8)New!

東京の60年(その7)

東京の60年(その6)

東京の60年(その5)

東京の60年(その4)

東京の60年(その3)

東京の60年(その2)

東京の60年(その1)


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