東京在住の村田歓吾さんからの投稿です。

「自由」「愛情」「しつけ」・・・Exciting New Zealandから

2000年1月 村田歓吾

2000年を迎える年末年始、ニュージーランドの田舎の牧場で一週間を過ごした。ニュージーランドは日付変更線のすぐ西、日本より4時間早く、先進国では世界で最も早く2000年を迎えるというので、2000年問題の上からも脚光を浴びたが、私が当地を訪れたのは、そういったことや仕事とは全く関係なく、たまたま娘のホームステイ先だったというだけのことである。

なんせ、ド田舎の牧場である。徹夜の野外パーティで年を越したとはいえ、ミレニアム新年の都会の馬鹿騒ぎとはかけ離れ、静かな2000年到来だった。

のんびりと過ごした一週間、50数年の人生で最高といえる楽しい年越しだったが、素朴な生活に触れ、はっとすることが多かった。

日本では想像のできなかったスケールの大きな生活に出会った。同時に、今の日本には失われた素朴さ、といえばありきたりな表現だが、われわれがこどものころ、4〜50年前には経験し、忘れていた遊びやしきたりに出会うこともできた。そんな経験を思いつくままに書き留めておきたい。

◇7000頭の羊とは…

滞在した牧場は、ニュージーランドの北島、首府ウェリントンから車なら4〜5時間の距離だと思う。

日本から行くには、オークランド国際空港から20人乗りのターボプロップのプロペラ機に乗り換えて1時間、地方空港のパーマストン・ノースに着く。そこから北へ約100キロ、ハンタービルという村である。

ニュージーランドの牧場とは、大平原ももちろんあるが山もまた牧場である。海抜500メートルぐらいの草山で、丘というイメージか。所々にポプラの木がそびえ「箱庭のような」という形容がぴったり。空に真っ白なオウムが飛び、野生のクジャクや七面鳥が姿を見せる。

4人家族のカニングハム家は、周囲の山に7000頭の羊と400頭ほどの肉牛を飼う。ちょうど、子羊に病気予防の薬を飲ませるために、羊を集めるのにめぐり合わせた。周囲の山から牧場犬を使って羊を集める(masteringという)のに丸二日かかったようだ。

そのうちの半日、同行した。

朝3時、手伝いにきた2人が馬で出る。それぞれ犬を5〜6頭従えて。

うっすらと明るくなりかけた4時、主人のDaneと9歳のTom、6歳のSamがトラクターとバイクで出かける。私も犬5頭を乗せたオリを引っ張ったトラクターの端に乗っかった。真夏だが、日の出る前はジャンパーを羽織っていても寒い。山道を30分ほど走ったから、5〜6キロ先だろうか。

谷を挟んだ向こうの山には、先に出かけたカウボーイならぬ“シープおじさん”が山の頂や谷にいる羊を追い集めている。後ろから追い立てられる羊は、前へ前へと、すでに1〜2キロの行列を作ってメーメー言いながら牧場の中の道を歩いている。牧場わきの山道を行ったわれわれは、牧場の端に羊が残っているのを見つけると犬を放ち、追い立てる。時々牧場の谷まで入り羊を追う。犬だけでなくバイクのこどもも、モトクロスのように山の牧場を走り回り、犬並みに活躍する。

こうして5〜6時間、何千頭かの羊は(数は見当がつかない)5〜6キロ先の住家(要するに草原や木陰)から共同作業場へと集められた。

こうしたmasteringが3、4方向から行われ、飼っている羊を一堂に集めるのだ。子羊だけ集めるのは不可能なので、全部集めてしまう。そのスケールの大きさには感心し、Excitingの一言に尽きる。

◇こどもはこども

こどもたちは自由奔放だ。木登りはジャンジャンし、アンズの実をふるい落とす。「けがするから、やめなさい」なんて、だれも言わない。フンがいっぱいの牧場でも平気で裸足になるし、見せたいものがあると“Kango, Kango, Follow me”と呼びにくる。

6歳でバイクやトラクターの免許があるとは思えないが、馬と同じようにうまく乗り回す。それでも、公道に出るときはヘルメットを忘れない。

大晦日の夜、近所の5家族ほど二十数人が5時半ごろから三々五々集まり、野外パーティーになったが、みんな車(5台のうち4台は日本車)にこどもと自転車を積んでくる。こどもたちは早速自転車を乗り回して砂利山でジャンプ比べをし、薄暗くなってもやめない。

親が「危ないから、いいかげんにしなさい!」なんていう雰囲気は全く無し。おとなはおとなで、持ち寄ったビールを飲んでおしゃべりに興じる。おとなとこどもは、最後まで別行動。午前零時の瞬間は、みんな庭に出て“Happy New Year”と言い合って、こどもはケーキを食べたが、また好き勝手に居間でテレビ(ポケモンが大ヒット中)を見たり、持ってきた寝袋に入って寝たり。

おとなのパーティーは3時ごろから4時ごろ徐々にお開きになり、来た時と同様に三々五々帰りだす。こどもは当然ながら寝ぼけ眼だ。みんな酔払い運転で帰ってゆく。隣近所とはいっても、翌日訪れた家は車で30分かかった。

◇愛情の中に忘れぬ躾(しつけ)

娘の観察によると、カニングハム家はとくにこどもを自由に育て可愛がるが、しかし躾は厳しかった。

母親が“Yes, mum!”とか“Yes, dad!”と強くいい、こどもがきまり悪そうに“Yes, mum”という場面をしばしば目にした。日本でいえば、しかった時にこどもが黙っているので、「ハイは!」という場面だ。これも最近は日本では、あまり見かけない。

 牧場の柵を乗り越えるのに失敗し頭を打って泣きべそをかいても、「そんなことするからよ!」なんて言わず、こどもを抱きしめる。

 騒いでいても「もう寝なさい」と言ってほほずりとキッスをすると、こどもも素直に寝室に行く。親しくなっているわたしの娘とはほほずり、新客の私とは“GoodNight”といいながらの握手だったが、あいさつは決して忘れない。

 年末年始はニュージーランドでは夏休みだが、TomとSamが勉強机に向かっているところは、ついに見なかった。朝から自転車やバイクを乗り回し、砂場にミニカーのレース場を作ったり、父親といっしょに牧場を走り回る。

 ここは小学校といっても全校18人、複式学級の「村の分教場」だが、そんな所でも日本のことを授業に入れるとは、なんという「ゆとり教育」か。(娘は、日本の文化を教えるアシスタントという触れ込みだったが、実態は折り紙や歌、遊びを教えるボランティアの“代用教員”)

 こどもたちはいつまでこんな暮らしをするのかと思ったが、中学生からは町の学校に入り、寄宿舎生活になるそうだ。

 夕飯の時、最近の選挙で政権交代があったことなどが話題にのぼった。当方は親子そろってカタコトなので詳しくは理解できなかったが、「日本のことを聞きたい」と社会保障のことをたずねられた。ニュージーランドは失業保険が充実しているようだった。自慢するかと思ったら、「人間がなまけもの(lazy)になる」と嘆いていたのは、予想外だった。


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