2003年10月
於:滋賀里(しがさと)病院 (滋賀県大津市)
スピーカー:七尾 清彦
(この講演は、精神病患者のための施設である滋賀里病院にて、医師、看護士、退院されたもと患者の皆様を前におこなったもので、内外の主要な問題について、視点を変えてものを見ると考え方や対応振りも変わってくるという点を述べたものです。
同病院の院長である栗本 藤基(ふじき)さんは、「精神を悩む患者はその人たちが属する社会の産物であり、その社会の発展度合いや進化の程度は、精神病患者に対しいかに暖かく接しているかどうかで判る。とりわけ患者に直接、接する医師や看護者は、医術のみならず知性・教養・感性においても最高レベルのものを常にとりこみ、これを糧として患者の社会復帰を助けなければならない」との今は亡き岡村昭彦という人物の考えに共感され実践されている方です。講演者七尾もこの考えに賛同して今回の講演会が実現したとの経緯があります。)
栗本院長と私を、今は亡き岡村昭彦という人物が見えない糸で結び付けていてくれたのです。私は1968―70年当時、外務省の駆け出し書記官として西アフリカのナイジェリアという国の日本大使館に勤務していました。岡村氏が折からのビアフラ内戦の取材のためフリー・カメラマンとして来られ、その際私に、世の中の物事は常に視点を変えてみる必要があることを教えてくださり、また、岡村氏の弱者への暖かいまなざしとヒューマニズムに強く印象づけられたのです。岡村氏は当時、ベトナム戦争を取材するカメラマンとしてすでに世界に名を馳せ、米国ライフ社との専属契約のもと、世界中の戦地を駆け巡っておられたのです。
一方栗本さんは、1982年当時、本当の精神科医療とはどうあるべきかについて真摯に悩み考える若き医師として長野県におられ、松本の信州大学で岡村氏が理想の精神科治療とはかくあるべきだとの講演をしたのを聴かれ、これを機にふたりは同志ともいうべき強いつながりを持たれたのです。おふたりは安曇病院精神科で、患者の立場に立ったヒューマンな精神科治療や病院環境はいかにあるべきかについて実地に努力を重ねられたのです。
戦争カメラマンであった岡村という人物が、医療にも強い関心を持っていたことを私は知りませんでした。彼に関する本を最近、栗本さんからのお勧めで読み、ある程度は彼の人生のいくつかの側面を知るようになりました。 私のごとき凡人の理解をはるかに超えたスケールで破天荒かつ多彩な56年の人生を燃焼しつくされた人だと考えています。岡村という人物は、単なる戦争カメラマンであったのではなく、戦争という極限の事態の不合理や不正を、映像という現場の動かぬ証拠を添えて世界に対して見せつけ、しかもそのよって来たる原因を、現場の出来事や図書館の原典にあたり精査し、世俗に流布する視点とは異なる角度から切り開いて見せたのです。いわば稀代の情熱的伝道師であったのかもしれません。
故岡村昭彦氏の遺作写真の展示会が滋賀里病院で行なわれるとの話をたまたま耳にして私は、同病院に参り、栗本さんとお知り合いになれたという次第です。(参考注: 岡村氏についてもっとお知りになりたい方には、次のような本が出版されています。――「報道写真家 岡村昭彦、戦場からホスピスへの道」松澤和正著 NOVA出版 1995、「カメラは私の武器だった、きみは、アキヒコ・オカムラを知っているか」暮尾 淳著 ほるぷ出版 1991)
駈け出し外交官として最初に出くわしたナイジェリア内戦(1967―1970にかけてイボ族が、連邦からの分離とビアフラ共和国としての独立を求めて戦った戦争で、ビアフラ戦争とも言われる)を、当時私は、連邦政府側を支援する米・英・ソ連(当時)対 仏・伊・アイルランドという国家間のパワーポリティックスの一環として観察しておりました。そこへ岡村昭彦なる人物が現われ私の見方を完膚なきまでに叩いてきたのです。もちろん激しい議論になりましたが、そのおかげで親しくなったともいえます。岡村氏によれば、連邦側の部族は回教とプロテスタント系キリスト教、ビアフラ側のイボ族はカトリックが圧倒的に多く、米英などの世界のプロテスタント勢力ならびに、ローマ法王庁と敵対してきた共産主義ソ連は連邦側を支援し、カトリック勢力はビアフラ側を支援したということなのです。
なるほど当時、冷戦で犬猿の仲であった米ソが同じ連邦側を支援していることを、私は変だなとは思っていたのですが良い答えを持ち合わせていませんでした。岡村氏の見方によれば、米ソは反カトリックということで呉越同舟になったのだときれいに説明できるのです。それぞれの紛争当事者の側に生じた戦争難民の救済に従事する人道団体も、連邦側はOxfamなどの英米系、それに対しビアフラ側ではカトリック系のカリタスなどが活動していました。カリタスは、近隣のポルトガル領サントメ島から、救援物資や武器弾薬、カトリックの神父やシスターたちを満載した輸送機を一夜に何便も飛ばし、真っ暗ら闇の中、急ごしらえのしかも舗装もしていない着陸地点に強行着陸してビアフラ側の抵抗を支えたのでした。岡村氏は、紛争は両当事者の側から見るべきだとの信念からこの命がけの救援機に便乗してビアフラに入り、迫真の前線取材で世界中を驚かせたのでした。
このようにローマンカトリックの見えざる帝国は、信者が世界に広がっていることから、世界の色々な出来事に実は深くかかわってきているのです。ポーランドでワレサ「連帯」労組委員長のもと急進的民主化が進み、このままだとソ連の介入を招きかねず危険と見た軍部ヤルゼルスキー将軍のクーデタが1989年12月12日夜に発生しますが、私は、たまたま空席であった東欧課長のポストに日本時間では翌13日の日曜日朝に発令されたのです。 日曜日に発令されるというのもあまり無いことでしょうがそれはともかく、ポーランドはカトリックの国であり、領内の教会関係者や法王庁の動きが情勢判断をする上で大変重要な要素になっていました。ものごとを別の視点で見てみるというナイジェリアでの体験が、ポーランド事件でもたいへん役に立ちました。ご存知のように、冷戦が終わりローマ法王はポーランド出身者が選ばれ今に至っていますね。
冷戦も終わり、ほとんどの人が米国による世界の一極支配が始まったと見ていますが、果たしてそうでしょうか。別の視点を持っていることも大事なような気がします。今度の米・イラク戦争で、独・仏・ロシア・中国が米・英に従わなかったのを見て私は、あらたな海洋勢力 対 大陸勢力の覇権争いが始まったような気がしてなりません。イラクとの戦争で米国が本当に相手としていたのはイラクではなく、将来、「ユーラシア大陸連合」ともいうべきものになりうる国家群であったと見られるからです。その意味ではイラク戦争は、軍事技術的には米英の圧倒的勝利に終わりましたが彼らは占領行政には手こずっています。その背後では、世界の資源・エネルギー・市場・頭脳獲得のための見えざる延長戦が主要国の間でまだ続いていると見るべきです。
日本はその国情からも歴史的経験からも基本的には海洋勢力についていくべきだと考えていますが、小泉内閣のように何の逆艪(さかろ)も留保条件もなしに米国に盲従していくのは危険極まりないことだと考えています。
米国は私も長い間、勤務した国でもあり比較的よく知っているつもりですが、まだ若い国であり、いっときの間違いや行き過ぎを修正する弾力性に富んだ国です。船が傾いた際の復元力のある国です。しかし9.11の連続多発テロ事件は、米国に安全のための膨大なコストを今後、永年にわたって課すものであり、これに米国の社会や経済が耐えられるかどうか、今しばらく注視していかなければなりません。秦の始皇帝が5000キロに及ぶ万里の長城建設で国力を疲弊させ、帝国の崩壊を招いたのは有名な話です。いま米帝国は、地球全体に長城を築き維持しようとしているのです。
この問題でも世間一般の見方は、北朝鮮は好戦的で何をしでかすか分からない国だ、というものです。たしかに、核開発を断念したと言いながら陰ではひそかに開発を再開し、カネになるなら麻薬やテロの世界にも手を突っ込み、挙句の果てには、人の領土に夜陰に乗じて侵入し善良な市民を拉致して帰り、拉致されその後、亡くなったとされる方の墓は洪水で流されたなどと見え見えの嘘をつく、などなど。朝鮮では土葬にする際、耕作に向かない高みの丘の上に墓を設けるのが通例であり、洪水で流されるようなことはまず無いのです。かかる北朝鮮に危険を感じるのは私も同じです。1950年の朝鮮動乱の例もあり、独裁王朝が暴発する危険は無視できません。
しかし冷戦も終わり、北朝鮮としてはかってのように中国・ロシアなどの大国の軍事的支援も期待するわけにはいかなくなっています。一方、イラクの後始末で忙殺されている米国は、エネルギー資源の埋蔵もない北朝鮮に対し、余程のことがない限り軍事行動は起こしにくい状況です。「イラクで米国を支持しないと北朝鮮問題で米国は日本を助けてくれない」との小泉内閣の単線的な主張は、国民に不安感をあおって異を唱えにくくするという政治的には巧妙なスローガンですが、情勢を冷静に分析すればかなりの確率で誤りなのです。イラクに対しては、基礎的ヒューマンニーズの分野で人道的緊急的支援を国際機関職員やシヴィリアンにより行なうべきです。武装組織たる自衛隊が果たすべきは、正当なイラク政府が樹立されたのちに、その同意の下に、平和と治安の維持にあたるべきです。日の丸をいまイラクの現地に立ててほしいとするネオコンと呼ばれる米国の一部強硬派は失望するでしょうが、日本としては将来を見据えた正しい日米関係のためにも「できることはやるが、できないことはできない」と筋を通すべき局面です。
私は、金正日王朝の本質は弱体だと思います。窮鼠、猫を咬むとのたとえもあり必要な警戒は怠れませんが、北が表向き強硬なことを言い核開発やロケット開発を進めているのは、体制に内在する弱さの現われであると見ています。この視点に立てば、王朝の弱点、すなわち民衆や改革派官僚などに対する工作にもっともっと力を入れるべきだということになります。軍事的に北朝鮮軍部に対し圧力を高めるよりも、赤貧と体制への怨嗟にあえいでいる一般民衆に対する生活必需物資の無償提供、外部世界の情報の巧妙な流しこみ、脱北者・難民などへの支援の手の差し伸べや入国受け入れなどが、一見、金王朝を助ける行為のように見えて実は、王朝がもっとも恐れているところへ手を突っ込むことになるのです。支援米の一部が軍部に流れても構わないというくらいの腹をくくった戦略が必要です。どこから来た救援米かは当局がいかに情報統制に努めようと,朝鮮民衆の言の葉に乗って朝鮮国内を自然に伝わっていくのです。脱北者に対しわれわれが暖かい手を差し伸べていれば、これも口コミで朝鮮社会には広まります。長い目で見れば極めて効果的な民衆工作になるのです。妨害電波をものともせず、米国やドイツが旧東欧諸国やソ連に流したラジオ放送が、ソ連帝国の崩壊に拍車をかけたのはご記憶に新しいことだと思います。
最近米国政府は、脱北者の米国への受け入れ枠の拡大に動き出したと新聞は伝えています。右手に剣を、左手にパンとバターを持ったこの米国の複眼的アプローチは正しいと思うのです。拉致被害者には苦痛を長い時間にわたって課すことになりかねず心痛みますが、当面、軍事的外科的対処法ではなく内科的にじわじわと朝鮮民衆を味方につける方向で努力し、金王朝に「参った」と手を上げさせるのがもっとも賢明かつ現実的だと考えます。
中国についても、共産党一党独裁の国というイメージがわれわれの頭に染み付いていますが、誰もが認めるように昨今の中国の変化にはすさまじいものがありますね。多党制民主主義や資本主義的経済への移行に成功するかどうかはまだ誰にもわかりませんが、中国が失敗すればわれわれ周辺の国は大変な迷惑をこうむります。私の体験では、発展途上国での国民の生活水準が改善され、多くの国民がテレビ、洗濯機、冷蔵庫などを持てるようになれば、不思議と軍は民衆に対し銃口を向けるのを拒否するようになるのが通例です。国民は、経済的生活水準の改善に伴い政治的自由も求めるようになりそれが滔滔たる流れとなると、このような流れに勝てないことを軍は本能的に知るようになり、いかに為政者の命令であっても国民に銃口を向けるのを拒否するようになるものと考えています。いまや中国はこの段階に達しつつあると思います。
中国が有人宇宙飛行に成功しましたが、なんと飛行船を「神舟」と命名したことに私は感銘を受けました。「神舟」は「神州(神の国)」に通じるとのことですが、共産主義は唯物論で無神論だとわれわれは学校で習ったわけですから、中国は変わりも変わったものだと思います。
内外の社会的に弱い立場におかれた人たちに、温かい目と支援の手を差し伸べる日本社会になることを目指していくべきです。そのためには国力あっての話ですから、生き生きとした活力ある日本経済再生に向けて一層の破壊と創造が必要です。改革は社会的敗者を生むので反対であると、社民党や共産党のひとが言いますが、これは間違っています。改革があってこそ国力が維持涵養され、国際的にも生き残っていけるのです。その過程で不可避的に生まれる敗者・弱者には暖かい厚生の手を打っていくほかないのです。高度成長後の日本型社会主義のもとで改革の遅れもあって、官僚の跋扈や既得権益グループがはびこり、社会は非効率化し、「失われた10年」を余儀なくさせられたのです。
この10年の不況と停滞の中でリストラにあった人、追い詰められて自殺した人、病を得た人などのことは決して軽く見てはいけませんが、この失われた10年も視点を転じれば、禍福はあざなえる縄の如しで、これを逆手にとって再生へのチャンスとすることも可能だと思います。この日本の停滞と平行して起こりつつある価値観の大転換を、わたしは実はある面では天佑だとすら考えているのです。わたくしごとで恐縮ですが、3人いるわたしの娘たちに電気はマメに消せ、朝シャンなどはガス代の無駄だ、まじめに勉強しないと就職もできない時代が今に来るよ、と言い続けてきたのですが、残念ながら娘たちは馬耳東風と聴く耳を持ちませんでした。ところが世の中では環境問題への意識が高まり無駄な電力の使用は地球環境にそれだけ負荷をかけるので慎みましょうということになり、朝シャンによる中性洗剤の東京湾への排出は環境にやさしくない人のやることですということとなり、不況下で大学は出たけれど就職できないという時代がやってきたわけです。娘たちはきっと、心の中では口うるさく親父が言っていたことが本当になったと思っているに違いないと、まんざらでもない気持ちになっているのです。
話をより本筋に戻してこの講演を終えたいと思いますが、物理学ではクォンタム・ジャンプ(quantum jump)という言葉を使うようです。門外漢で正確なことはわかりませんが、物質のもとである量子(quantum)がある一定のエネルギーを蓄えると、ポンと次元を飛び越えて別の物質に変わっていくといった話のようです。いわば日本列島の地殻がプレートのぶつかり合いでエネルギーを徐々に蓄えて、ある日突然大地震を起こすのに似ています。
人間の社会もこれに似たようなところがあるとわたしは思います。失われた10年は、このクォンタム・ジャンプのためのエネルギーを蓄えてきた10年ではなかったかと思うのです。誰にもわかりませんがジャンプのためにはさらに10年くらい必要なのかもしれません。というのは、今度の総選挙で示されている与党、野党の政策を見ますに、まだまだ改革の入り口で、恐る恐る部分的つまみ食いをしているにとどまっているように見えるからです。
その証拠に、小泉内閣の、藤井道路公団総裁問題の扱いを見てください。いかにも臆病な印象を与えていませんか。いやしくも公団総裁という高位にあって国策上重要な職責を任されている者が、特定の政治家を在任中に優遇したといったことを口にしたその瞬間に、担当大臣たるもの即座に、国民に対する重大な背任の疑いありとして罷免するべきなのです。藤井何某を好んで個人攻撃するつもりはいささかもありませんが、行政不服審査や裁判といった法制度は、本来、立場も弱い一般の公務員の権利を守るためにあるものであって、政治的任命ともいうべき高位にある公団総裁が依拠するべき手段ではないはずです。準閣僚ともいうべき地位にあるのですから、内閣の高度の政治判断で任免されることは当然のことであり、本人もそう心得ているべきです。かかる政治的判断の当否は、そのことに当たった内閣が国会や選挙の際の国民によって政治的な審判を受けるわけで、通常の司法判断にはなじまないものだと思います。裁判が提起されるなら、政府は10年でも20年でも闘い続ける用意ありとの毅然たる姿勢を示すべきだと思います。
わたしがこの藤井問題にこだわるのは、肥大化しかなりの部分で制度疲労や腐敗を招いた官僚制度に大ナタを入れていく上で、政治が勝つか、パリサイ的官僚が粘り勝つかの分岐点を示す象徴的な事件だと思うからです。この問題で毅然とした対応を内閣が示さないようでは、官僚制度の簡素化・正常化はもとより、日本の改革そのものも日暮れて道遠しと思わざるを得ません。先ほどから申し上げている日本のクォンタム・ジャムプにはやはり、さらに10年が必要なのだということになりかねないのです。
こんな次第で、少なくともなお暫くは、われわれ日本人には厳しい時期が続くと覚悟していたほうがよさそうです。こんな中でこの際、視点を転じ、むしろ不況やデフレと積極的に共生し、その中にたとえ小さなものであっても活路を見出し、これを活用していくといった生活スタイルが、精神的には良いのかもしれません。
「内外を問わず、精神などを患うひとたちや社会的な弱者一般を大事にしていこうとする国が、世界で最も強くて進んだ国なのだ」とのあの岡村昭彦氏の含蓄ある言葉の意味を噛み締めながら、つたない講演を終わらせていただきます。
ご静聴ありがとうございました。