私は駐イラン大使の頃、ペルシア語を学ぶことにした。が、難しい。それでも勉強は続けた。大人の本までなかなかいかず、結局、イランの童話は百冊以上も読むこととなった。
好きな童話作家にセパヒがいる。
彼の作品「飛ぶのを拒んだツバメ」が最も好きだ。―――春ツバメの群れが森を訪れた。子供が生まれた。中に一匹、変なツバメの子がいた。自己主張し飛ぶのを拒んだ。回りの子供ツバメは飛ぶのを習う。しかし彼は常に木の上にいる。それでも父さん母さんツバメが餌を運び、すくすくと育った。兄弟ツバメを見て「馬鹿な奴らだ。飛ぶから痩せこける。私みたいに飛ばなければ、丸々太って悠々と過ごせるのに」と嘲笑した。秋が来た。ツバメが暖かい地を求めて飛び立つ時が来た。母さんツバメは「一緒に飛んでいこうよ」と説得する。このツバメは残るという。そして「母さん、私が丸々太っているのは母さんや父さんの運ぶ餌を食べただけではない。蟻が木に登ってくる。蚊や蠅が飛んでくる。私はこれを捕まえ食べてました。父さん母さんがいなくとも、自分で餌を手に入れられます」と説いた。ツバメの群は去り、このツバメだけが残った。
最初は蟻や蚊が来た。しかし秋が深くなる。冬が来た。蟻も蠅も蚊も来ない。寒さが厳しくなる。このままでは飢えと寒さで死ぬ。しかしツバメは飛べない。思い切って木から飛び降り、餌を探して歩き始めた。豚小屋や鶏小屋などに餌はある。しかし誰も長期滞在を許さない。猫がいる。命すら危ない。生きていくために飛ぶことが不可欠と知る。しかし誰が教えてくれるのか。豚や、馬や、鶏に教えを請う。皆知らない。やっと、鳥籠にいた野鳥に訊ねる。野鳥は教えてくれた。「ここから見える山の頂上に行きなさい。夜明け、山頂に強い風が吹く。思い切って風に身を投げ出しなさい。風に乗りなさい。自然と飛べるようになります」。ツバメは山に向かって歩き始めた。ぶくぶくに太った身も次第に締まってくる。筋肉も付く。たどり着いた山頂で、風に向かって身を投げると、あとは体が風に運ばれ、自然と自分が飛んでいるのを知る。――――
我々はよく「自分で考えろ」という。若者も、しばしば自分で考えた道を進もうとする。自分で考えることは第三者からみれば結果が悪いと思う道への突入を意味する時がある。しかしその修正も、しょせん他人頼りでなく、本人次第なのであろう。
セパヒは他にも様々な童話を書いた。
「雨雲が雨を降らそうと世界に旅立つが、皆、今、雨に降られると困るという。自分は世界の誰にも好かれていないと雨雲は泣き出す。そして耕地の上に出た時、百姓が雲を見上げ、これで雨が降る、作物が育つと喜んでくれた」という雲の話。
「虎がある日、猫に出会って、自分も猫のように人間に可愛がってもらおうと思って人間社会に出かけるが、人間は恐がり、あげくの果て見せ物にされ、人間社会に絶望し去る」という虎の話。
「猫がネズミと友達になろうとして出かけるが、体の大きさが違うのでうまく遊べない。ネズミを押し潰そうになる。先ず猫は自分のサイズをちじめようとするがうまくいかない。ではネズミのサイズを大きくしようと引っ張ると、ちぎれネズミは死ぬ」という猫の話。
童話であるが、いずれも異なる価値観の中での生き方を問うている。この繊細な感覚を持った作者が、厳格なイスラム革命の中でどう生きてきたのか。大人の小説を書けば当局に睨まれる。かろうじて童話の世界で、動物に託し自分の主張を書いたのであろう。そこには自分の考えと異なる価値を持つ体制の中で、生き方を問う人物像が浮かび上がる。
私はこの作者と話せばイスラム体制を理解できるのでないかと思った。秘書に住所を探させた。思いがけない返事が来た。作者は死んでいるという。死因を聞くよう頼んだ。妻はなぜかセパヒの全作品を私に送ってきた。そして答えをくれた。
「イスラム革命後、夫は通訳として働きました。その内、日本からN H Kのグループが来ました。夫はその通訳になり喜んでました。ある日、このグループの金が盗まれたと大騒ぎになりました。夫は泥棒の濡れ衣を着せられ監獄入り。これが原因で結局夫は死亡しました」。
おわり