2004.6.30 七尾 記
私はNHKラジオ深夜便のファンの一人である。放送を聞いているとなかなか興味深いことに気付く。視聴者が比較的高齢なのを意識してか、昔のことを懐かしむ組み立てになっているようだ。先日はなんと軍歌を流していた。戦後の軍国主義批判の流れの中で、NHKが軍歌を堂々と放送することは永い間、無かったのではないか。
これを捉えて復古主義だの保守反動だのと結論を急ぐのはちょっと待とう。私はいわゆる皇国史観や軍国主義には強く反対だが、軍歌の中には兵士の心情を歌った素晴らしいものもある。戦場にある兵士が故郷のいとしきものへ馳せる想いを歌った歌、「梅と兵隊」は私の大好きな曲の一つである。
〜春まだ浅き戦線の 古城にかおる梅の花 せめて一輪母上に 便りに秘めて 送ろうじゃないか
〜覚悟をきめた吾が身でも 梅が香(か)むせぶ春の夜は いくさ忘れて一刻を語れば戦友(とも)よ 愉快じゃないか
〜明日(あした)出て行く前線で いずれが華と散ろうとて 武士の誉れじゃ 白梅を 戦闘帽(ぼうし)にさして 行こうじゃないか
乾いた国家思想なんかではなく、生きた人間の情念がそこには感じられる。時代を超えて胸にグッと来るものがある。多くの日本人が今でもいいと思うものは、軍歌であってもNHKは遠慮しないで流したらいいと思っている。ただし大事な条件が一つある。そこで歌われている心の動きや訴えが、日本人の独りよがりではなく、世界のどこへ持っていっても大多数の人々の共感を呼ぶものかどうかという点である。普遍的妥当性を持っているかどうかということである。
こんなことをのっけから話し始めたのは次のような理由からである。中曽根内閣の登場で、日本の改革が叫ばれ始めてから既に20年余りが経った。グローバル化、大競争、規制緩和、民営化、地方分権などと「改革囃し歌」と叫ばれてきた。お陰で巨大な日本丸は改革に向けて大きく舵を切ったといえる。今では改革そのものに異を唱える人はほとんどいなくなったといえる。
もちろん、改革に抵抗している分野、余りにも改革ペースが遅い分野、改革しているといいながら誤った方向に暴走している分野なども多い。20年経ったこの時点で、今一度、原点に戻って「改革ってどういうこと?」と自問自答してみる事に大きな意味があるように思えてならない。何か大事なことを我々はお座なりにしているような気がするからである。
私は次のように思う。改革とは、日本人ひとりひとりの内面の改革と日本社会の改革の2本柱からなっている筈である。企業を例にとれば、トップから平社員まで社内の人間の精神面での改革がまずなければ、会社の組織や機能をいくらいじくっても会社は生き還らない。日本人ひとりひとりの改革が先行しないと、日本社会の改革は成功しないのだと思う。6年前、拙著「ひとりひとりのルネッサンス」を世に問うた時もそんな思いがあった。
もちろん、この20年の間の社会の変動の中で、われわれ日本人の精神構造、思考も大いに影響を受け変化した。大企業でも倒産するのだから、子供を就職させるときはその会社が名門かどうかや規模の大小よりも、将来性の有無を良く見て決めるようにと親も考えるようになった。就職した子供の転職も、その方が子供のためになるのかも知れないと考えるようになった。しかし、このような変化はいわば受動的変化である。能動的に自らの思想・信条・価値観・倫理観などの内面を改造・改革していくことは、左程、意識してこなかったのではないかと私自身反省している。
ひとりひとりの内面に及ぶ精神的改革という事になれば、日本人である以上、日本の文化や伝統の問題を避けて通ることは出来ない。しかしここで我々戦後世代は、難しい問題に出くわす事になる。戦後教育の中で、戦前の文化・伝統・価値観は軍国主義の温床になった元凶として否定的の捉える雰囲気の中で教育を受け育ってきた。先祖代々伝えられてきた日本的価値、たとえば本居宣長言うところの「やまと心」は良いものだから復活させようと今いわれても、反射的に躊躇・警戒してしまう世代なのである。
しかし我々はこれを乗り越えなければならない。どうしたら乗り越えられるのか。多分、われわれが戦後受けた教育は、日本の文化・伝統を余りにも軽視したものであったという意味で、欠陥のある教育だったのだということをまず自覚し認めるということが出発点になるのだと思う。また戦後教育では、戦後復興のための知育優先で、価値観のからむ徳育をお座なりにしたことも責められるべきであろう。また極言にはなるが、欧米の政治・経済・社会制度を充分な検証なしに善として捉え、戦前の日本の制度と置き換える事に急であった点も否めない。
このような認識に立った上で、我々自身の人間的内面を自らの努力により、より均衡の取れたものに充実させていくことが肝要だ。そのような自己改革を通じて初めて、子供たちに対しても自信を持って教育に当たることができる。改革との関連で申せば、大競争だ、規制緩和だ、地方自治だなどの「改革教」のお題目は、社会を一定の方向へ変えていくための手段、方法にすぎない。規制を緩めたところへ悪徳商人が現われれば、消費者や税務署をだましてでも利益を上げることができる。こんな社会になることを誰しも望んではいない。また自然と共存していく姿勢がなければ営利優先で、環境や伝統・文化遺産は破壊されていってしまう。
日本社会というバスを運転するのは、ひとりひとりの日本人である。バスの性能をいくら高めても、そのバスを運転する日本人自身の欠けている内面的資質を補充することによりリバランス(再均衡)させ、かつ高めていかなければバスは暴走してしまいかねないのである。
欧米社会にも不届き者はいるし、システムが機能不全を来たすことも多い。しかし戦後の日本社会と基本的に異なる点があるように思う。それは個人の内面性に関わる社会的訓練が不断になされているということである。衛星テレビを通じて、米大リーグの実況中継を日本でも見ることができるようになった。試合開始に先立ち、必ず国旗に向かって起立して国歌斉唱を行う。私自身、君が代を国歌とすることには異論があり、国民みんなが愛唱できるような、より時代にあった国歌を新たに作る必要があると考えているが、国旗、国歌を愛し敬うこと自体は当然だと思う。社会的規範や倫理・道徳の訓練が米欧では学校教育のみならず教会活動なども通じて行われているのに対し、日本では戦後永い間、どちらかと言えば忌避されてきたという違いがある。
最近、ある竹馬の友からメールを受け取った。小中での教育に半生を捧げた同窓生からのものである。そのメールには次のようなくだりがあり、私は強く感動を覚えた。
「私たちの子供時代に親を始めとして大人から教えられたことが元になって、今日があるのですが、自分が教育に携わりながら、縁あって日本人に生まれることができたのに、その素晴らしさをすこしも教えてこなかったなあと後悔しています。老い先短い今頃になって、せめて自分が教えられたことぐらいは、後世に伝えておかなくてはと考えているのです」と書かれていた。
さて、以上のような考察を踏まえ、我々世代の我々自身による再教育に取り掛かるとしても、日本の歴史や伝統の蓄積は膨大である。この蓄積の中から現代及び将来に妥当するものと、そうでないものとを仕分ける作業が必要となる。冒頭の軍歌の話に戻るが、今でも妥当性を持って多くの日本人に共感を呼び起こすものと、単に戦意昂揚を目的にしたに過ぎないものとに分かれる。宝物とゴミとのふるい分け作業のようなことが必要だ。
この分別作業をしっかりやらないと、ただ闇み雲に昔のものは良いもんだ式に復活させるというのでは単なる復古主義に陥り、右翼反動の国家主義者に利用されたりもするし、戦後に獲得した新たな価値観や発想との共存も出来なくなる。もちろん作業の対象が、価値観や、人生観、世界観など個々人の内面に深く関係するものが多い以上、最終的な振り分けと選択は一人一人が決める事となるべきだし、選択の結果も一人一人微妙に違ってきて当然だとおもう。しかし、国民的広がりを持った分別大作業なので、できれば大多数の国民にとって参考となるような基本的な分別尺度・基準が、自由で学術的な立場から提示されることが望ましい。
尺度・基準をどのようなものにするか、とても私の手に負える話ではなく、日本や東洋の文化研究に強い京大あたりが中心になって学術的に研究開発をしてくれることを期待したいが、ヒントになるようなことをいくつか思いつくままに以下に列挙してみたい。
(1)日本の伝統的価値観や文化の中には、神国思想や、ある種の選民思想など世界という場において普遍的妥当性を持たないものも混在する。従って第一の尺度は、世界のどこへ持って行っても妥当するという普遍性があるかどうかということであろう。世界の大多数の人々が納得する価値観でなければならず、そうでなければ独り善がりということである。
(2)日本文化とされるものの中には、中国を起源として日本に根付いた儒教思想、その発展である朱子学の体系などもある。国を君・臣・民にわけ仁義忠孝を求める考え方は、忠君愛国ということで国策の遂行に利用されたり、家父長制ということで天皇ー赤子といった発想を生み出したり、男女差別などにもつながった。もともと儒教には、「修身 斉家 治国 平天下(身を修め、家を整え、国を治めて、天下を平らかにする)」という言葉にも見られるように統治の為の理論という面があり、為政者によっては国家統治に悪用することも可能であるとの弱点を持っている。現代の民主主義とそぐわないところは修正が必要である。生まれ育った国を愛したり、年長者を敬い大事にするというのは人間の自然な感情であり、そういった価値観は現代でも当然通用する。
注目しておきたいのは、先ず一人一人の民が身を修めれば、やがては天下を平らかにする事に至ると孔子は説いている点である。平天下の出発点を一人一人の資質改善に置いており、その逆ではないということである。日本の昭和の失敗は、その教えに逆らい官製の都合の良い道徳や価値観を画一的に上から国民に押し付け、反発するものがあれば治安維持法で引っ張ったというところにある。
(3)いわゆる「やまと心」ということで多くの人が思い浮かべるのは本居宣長の「敷島の やまと心を人問わば 朝日ににほふ 山桜花」という有名な歌であろう。このジャンルは、とてつもなく幅が広く奥行きも深い。正義感、潔癖性、自然を愛するやさしい心などには惹かれるところが多い。国家主義との妙な合体が起こると不都合なことに利用されるので注意が必要ということであろう。やまと心を軸とする日本の伝統には、仏教、道教、老荘に見られる一種の反文明主義や精神主義偏重の要素が混在しているので、このあたりを自覚しておくことも有用である。
神道の問題は仏教などの他の一般宗教とは異なり、日本の場合は、現に憲法上、一定の地位を有する天皇の問題に直結しているのだからより複雑である。国家神道や天皇制の復活に繋がらないように注意しつつ、神道の教えの中のどの部分が現代世界にも妥当しているのか、慎重に見極める作業が必要である。改憲の機会に、天皇は元首だと憲法に明記するべきだといった意見が野党の一角から出てくる位だから、神道の問題には他の宗教以上の慎重さが必要なのだと思う。
(4)キリスト教を内面の精神的バックボーンとする欧米社会は、異教徒や異端を、自分たちよりも発展の遅れた民とみなす傾向が強い。これに、唯一の超大国であると自認する米国の国力と結合すると、面倒なアメリカ一国主義が頭をもたげてくる。どんな宗教でも大なり小なり似たようなところがあると言ってしまえばそれまでであるが、米国社会が、自らこそが正統で唯一の超大国だといった幻想を抱いている限り、今次イラク戦争のような厄介な国際問題を今後も引き起こし続ける危険が高い。
このような状況の下で、東洋的相対主義、仏教的寛容などを梃子にイスラム世界とキリスト教世界の無用の対立を弱めることが出来ないかという命題は、たしかに魅力のあるテーゼである。世界を相手に東洋の文化と仏教のエッセンスを説いて回った仏教学者の鈴木大拙は、戦後、歴史学者のトインビーと懇談したことがあった。その際、トインビーから「来たる21世紀には宗教戦争が起こる予感がする。それを救うのは仏教ではないか。仏教には包容力があるから。」との趣旨の開陳があり、帰路、大拙は「さすがトインビーだ」とつぶやいたとのエピソードが、秘書として長らく大拙を助けた岡本美穂子氏のページに紹介されている。
私には手におえない問題だが、宗教と言うものをあえて持ち出さなくとも、或いはむしろ持ち出さない方が、国際問題の解決がより容易であり、また解決の可能性が高まると考えている。この点については色々な考え方があるのだろう。
「科学第一主義を盲信してはならない、顕微鏡を覗いている人間の分別知が大事なのだ、分別知がないと原爆まで行ってしまうのだ」として人間中心主義という東洋の知恵を説いた鈴木大拙や、「武士道」を英文で書き下ろした新渡戸稲造など、西洋と東洋の狭間できびしい知的葛藤を繰り返し、そして乗り越えていった多くの明治・大正期の知的先人の残した軌跡をじっくりと見直すことも、我々の日本文化分別のための大作業にとって有益なものだと思う。なぜなら、彼らは世界の多くの人に理解され、かつ受け入れられた日本人、すなわちインターナショナルなナショナリストだったからである。
第一線を退きつつある我々戦後第一世代の責任は大変重いような気がする。なぜなら我々は親や祖父母を通じて、戦前の日本の良き伝統や文化、道義道徳を体で感知感得してきた最後の世代なのだから。学校では習わなかったにせよ、本能的に日本の良いところを朧げながらではあれ知っている最後の世代なのである。われわれの子供や孫の世代にはこのような蓄積は無い。彼らはわれわれ世代の生きた言葉と感性を通じてのみ、日本の良き文化・伝統を受け継ぎうるのである。
時あたかも日本の改革が本格化しなければならない大事な段階に到っている。繰り返しになるが、改革を主宰する我々自身の内面的改革なくして、真の社会改革はなしえないのである。我々の世代のみでは完結し得ないであろう日本改革のためには、子供や孫の世代にバトンを受け継いでいってもらわねばならず、このためには日本の文化・伝統・倫理道徳の受け継ぎは不可欠である。幸いこのための時間はまだ残されているように思う。
教育を例に取れば、明治の儒者で明治天皇の信頼厚き侍講であった元田永孚は、同天皇の指示で教育勅語を起草した。元田が目的としたのは極端な欧化主義と同じく極端な国粋主義の双方を排して、中庸の道義の国・日本を東洋に建設することにあったとされる。不幸にして教育勅語は、もともとそれに内在していた皇道主義の要素と昭和期の内外情勢の悪化があいまって軍国主義を支える具となり、起案者の意図とはおよそかけ離れた役割を果たしてしまった。しかし、勅語の中味自体には、現代にも立派に妥当するものを多く含んでいる。いかなる名刀も使う者によっては凶器となるの好例である。
今こそ戦後第一世代の我々が生きている間に、上からの勅語ではなく我々自身が妥当と考える現代の道義体系を自ら生み出し、後代に引き継いで行くべきだ思う。教育勅語を含め過去の人倫に関する蓄積を、忌むべき歴史の遺産だとして避けて通るのではなく、その中の良い部分とそうでない部分とをふるい分ける作業のまな板に載せるべきである。
(了)