七尾 清彦
21世紀の挑戦に日本がしなやかに対応していくためには、われわれの民主主義の改革・改善は不可欠だと思われる。冷戦の終結、湾岸戦争、バブル経済の破裂、大震災などに当面して、戦後の政治、行政、経済が有効に対応出来ず、制度疲労と腐敗が誰の目にもあきらかになったことがこれを証明している。
神戸新空港建設の是非をめぐって市議会に住民投票実施条例の制定を求め拒否された住民は、今現在、自主管理による住民投票を展開している。これは、現行の政治制度の欠陥を示すものであり、単なる制度疲労の問題として片付けてしまう事はできないようだ。
価値観がますます多様化し、また当面、低成長しか期待できない来世紀の少なくとも最初の数世代には、世代・性別・地域・宗教などで、また、成長か環境かなどのイシューごとの選択・決断の問題において、利害対立の調整がますます重要となるとみられる。
このような事態に日本人が対処していく上で、この四半世紀にわたり米国カリフォルニア州で展開されたポピュリズム(民衆主体の政治手法)の勃興と幻滅という壮大な政治ドラマは、他山の石として大変参考になるものを含んでいるようだ。ここでは、その概要と問題点を整理して、今後の議論の糧としたい。
あるカリフォルニアの老練の政治家が言った言葉がある…「民の声は神の声ではない。民の声はかってキリストを十字架に送り込んだではないか。」
民主主義を代議制の欠点や直接民主制の行き過ぎから守りながら日本独自のものを育てていくにはどうすればよいか、これは永遠の課題でもあるが、同時に避けてはいられない問題でもある。神戸に限らず、日本各地で火が付いているのである。
私は、大きな問題については、行政・経済界・住民の三位一体の参画型による徹底的な討論によるコンセンサスの模索と最終的には住民投票による決着というやり方に日本の将来があるのではないかと思っている。識者のご意見ご批判を歓迎する。